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ハートフル

モモヨ文具店 開店中<34> ~直くんの独立 前編~

   

 
 その日の夜勤は、長かった。
 客足はぽつりぽつりとあるのだが、背中で感じるだけの賑やかさに何度も心を奪われ、そのたびに心のネオンと傍に置いた独立企画書を思い出した。
「おにーちゃぁん」
 目をこすりながら真新しいパジャマを着たりいかが現れると、後ろからタカアキさんが顔を覗かせた。彼もまたパジャマだった。
「仕事中、すまないね。りいかがどうしても高橋くんに挨拶したいというんだ」
 りいか、おやすみなさいは? と促され、りいかはぺたぺたと直くんに駆け寄ってきた。十分に地獄を見た琉華と違ってりいかは幼すぎてなにもわかっていないようだった。お風呂上がりのふくふくしたまるっこい身体からは幸せのにおいが立ちのぼっていた。
 りいかが直くんの袖の端を掴む。
「どうしたの?」
「あのね、おにーちゃんは、りいかのおにいちゃんになるの?」
「ううん。ごめんね、僕はなれないんだ。……僕は、違うから。りいかちゃんにはお姉ちゃんがいるだろう?」
「うん。るかちゃん」
「るかお姉ちゃんと一緒に、幸せになるんだよ、これから」
 君たち家族の道に幸運がありますように。僕の道にも幸運がありますように。
 直くんは心の裡で祈った。
「うん。おやすみなさぁい」
 りいかがぎゅっと抱きついてくる。小さい身体を両手で抱きしめ、髪をなでた。その髪の間に傷があるのを直くんはしっかり見た。
 幸せでありますように。
 もう一度、まじないのように唱えるとりいかの身体を離した。
「さ、おやすみ」
 りいかの足はもう眠りに呑まれていた。抱き上げたタカアキさんが二階に連れて行く。それからしばらくして降りてきたタカアキさんは、「ありがとう」と会釈して、居間に戻っていった。それっきり彼は姿を見せなかった。
 初めてまともに見たタカアキさんだったが、モモヨさんが自分の人生に巻き込みたい理由がわかった気がした。目尻や頬に暗い色気があるのだ。タカアキさんには。
 バー勤めだったから人を見る目にはそれなりに自信がある。一般にはものすごく敬遠されるが、一部でものすごい人気を持つタイプ。陰があっていいよねー! と言われるような。
(みーんな、幸せになればいいんだ)
 直くんは半ば本心、半ば投げやりに、ちょっと机の脚を蹴った。
 椅子を揺らして独立企画書を読み返していると、ぴしゃっと音をさせて引き戸を琉華が開けた。勝手にレジ台の前に座ると、広告の裏なのか行も形も整っていないひらがなだらけのなにかを黙々と書き始めた。後ろでは静かに大人たちの会話が始まっている。
(追い出されたのかな。そんなことないか)
「琉華ちゃんはいくつ?」
「じゅーなな」
「ココア飲む?」
「いらね」
 続けた寒くない? お菓子持ってこようか? の言葉は、はあ? だのうっせーなの返答でぼこぼこにされた。
(全っ然、コミュニケーションがとれない。すげえ子だなあ、この子)
 誰が選んだのかわからないが、絶対にこの子ではないだろうという小洒落たベロアのワンピースの琉華は寒そうだった。激しい貧乏揺すりをして、寒さを紛らわせている。直くんがだるまストーブに火を入れても、琉華の貧乏揺すりはおさまらなかった。居間ではモモヨさんとタカアキさんの細々とした声が聞こえている。難しい話をしているようで、ときおり声が大きくなることがあった。
 足音を忍ばせて直くんは台所に行き、モモヨさんがいつも風呂上がりに着ている半纏を持ってくると琉華に「あったかいよ。モモヨさんのだけど」と渡した。
「……どーも」
 それだけ言うと、琉華はもこもこした半纏を羽織り、眉根を寄せながらまたなにか書き出した。
 ぷっつり客足も途絶え、暇に任せて、店内をぐるりと見た。
 綾乃さんに頼んだ『四季』の在庫はもうほとんどない。評判を聞きつけて通販も入るから月に五十個販売のペースは守れている。独立するまでに売り切れる。この店で思い残すことは今の直くんにはなかった。
 琉華が激しく咳き込んだ。ほっぺたが熟れたように赤くなってる。月世野の秋に慣れた直くんはまだ薄手だったが、琉華は着込みすぎていた。
「ああ、ごめんごめん。乾燥しすぎたね。薬缶持ってくる。湿気らせるから」
 琉華がきょとんと意味がわかんないという顔をした。
「ストーブの上で水を入れた薬缶を置いて、温めるんだよ」
 言うと、席を立つ。
(そういや綾乃さん、東京に来ない方がいいって言ってたけど……)
 台所でストーブ用の大きな薬缶に水を入れていたとき、このあいだ綾乃さんと話したことを思い出していた。

 

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