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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

怪盗プラチナ仮面 21

   2017年12月5日  

 
 約束の期日の朝、少佐と吾輩は馬で兵営を出た。ドナウ川湾曲部の氾濫予測調査という名目で、少佐は中隊長を通じて吾輩を補助者に任じてきた。中隊長は特段不思議そうな顔をしていなかった。空には雲が厚く垂れ込め、雪がちらついていた。

 ヴィシェフラド城は、ブダペスト北方約15キロのセンテンドレの町から県境の山を迂回し、ドナウ川湾曲部を曲がりきったところにある。今は廃墟になっているが、標高300メートルほどの山上に建つその姿は荒々しくも美しい。それまでに2度、行軍演習で近くを通った際にその美しさは目に焼き付いていた。いつかは城の高みからドナウの流れを見下ろしたいと思っていた場所だった。

 センテンドレで馬を降り、我々は昼食を取った。森の横の広場に馬を繋いで地面に布を敷き、持参したコーヒーと黒パンを広げた。黒パンを齧りながら少佐が「お前はセルビア人がこの町を築いたことを知ってるか」と聞いてきた。

「そう聞いております」
「うむ。それにしても美しい町だ。お前は、自分の同胞がこの町を築いたことを誇りに思っていい。だが今では、ここにセルビア人はほとんどいない。住人の9割はハンガリー人、あとはドイツ人だ。セルビア本国はこの町のことなど憶えてもおるまい。お前はセルビア人の一人としてどう思う」
「王城(ブダペスト)の盾としてセンテンドレがお役に立っておるのであれば、かの時代のセルビア人たちにも名誉であろうと存じます」

 トローネルは下を向いて「上手いことを言う」と笑った。

「同胞たちが去ったことを、お前は寂しいとは思わんのか」
「いえ。町とはそのようなものであろうかと。民が去っても町は残りますので」
「なるほど。そういえばお前はボイボディナのスレムの生まれだったな」
「はい」
「ボイボディナもそのような土地だ。古代からどれほどの民族が通り過ぎていったか知れん。お前はたまたまセルビア人だが、お前たちの後にどんな人間たちが来ても、それは受け入れられるのだろうな」

 吾輩は少し間を置いてから「恐らくは」と答えた。

「スレムは、私が生まれたバナートとは目と鼻の先だ。歩いても行けるだろう」

 やはり変わった人物だと思った。隣りの地方とはいえ、バナートは吾輩の家から東に50キロは離れている。歩くなどという人間にはそれまで会ったこともなかった。

「馬ならばもっと早く着けるでしょう」
「馬など必要あるまい。歩くのでは気が急くというなら走ればよい。……そうだ。パンノニア平原は走るための場所だ」

 トローネル少佐は敷布の上に片肘を突いて、吾輩の顔を面白そうに眺めていた。
 

 

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