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ラブストーリー

オクターヴ上げて奏でる[1] ポロネーズ

   2017年12月11日  

 月に叢雲、花に風と、祖母から聞いた言葉がある。まさにこの事だ。
 奏子さんはPHSを返すからと言っていた。だから、田端駅に着けば奏子さんに会える。理由はどうあれ、僕の心は浮かれていたが、赤羽駅の改札に着いて事は一転した。
 麻衣子が僕のことを待っていた。不機嫌そうな表情をしている。
 昨日、連絡を絶っていたことと、奏子さんが電話に出たからだと直ぐに分かった。
「ねぇ、昨日なにしてたの。」
 これは誤魔化す必要もなく、学校から真っ直ぐに家に帰っただけだ。何も嘘をつく必要が無い。問題は奏子さんが電話に出たことだ。
「昨日、ピッチに電話したら女が出たんだけど。」
「さぁ、掛かってきてないよ。……間違えたんじゃない。」
 誤魔化しながら、いつもより速足でホームへ向かった。電車に乗ってしまえば、麻衣子の学校は埼京線沿いの駅だから逃げ切れる。
 今は急なことで頭が混乱しているから、話を纏めてから後日ゆっくりと誤魔化そうと思っていたが、麻衣子は「ちょっと、何なの?待ってよ!」と大声で僕を呼び止め、周囲の注目を浴びながら、僕のいる車両に乗って来た。
「おい!なんだよ!ついて来るなよ。」おもわず大声を張り上げてしまうと、「うるせぇよ」と、隣にいるスーツ姿の男が僕に注意する。それを見た麻衣子も大人しく口を閉じた。
 どちらにしても、このまま電車に乗っていれば、奏子さんと麻衣子を鉢合わせてしまうから、次の駅で降りて電車を一本ずらそう。
 東十条の駅に着くと、車内の重い空気から逃れることはできたが、麻衣子から逃れることはできなかった。
「ねぇ、何なのよ!何か隠してるでしょ!」列車のドアが開くと同時に麻衣子の口も、再び開き始めた。
「隠してねぇよ!今、学校行かなきゃだから、終わったら連絡するよ。だから、早く行けよ!」
 とにかく麻衣子を追い払うことに必死だった。次の電車が来ると、人の隙間を見付けて電車に乗り込むが、麻衣子もあきらめずに追い駆けて来た。
「おい、だから勘弁してくれよ。……」
「勘弁するって、やっぱり何かあるんでしょ。あの電話の女でしょ!」
 電車を一本ずらしたから、奏子さんには会わないはず。冷静な気持ちで言えば、麻衣子に奏子さんの存在を知られたくないのではなく、奏子さんに麻衣子の存在を知られたくないのだ。
 麻衣子は、僕が次の駅で降りて逃げ出すと思っているのか、鞄の手提げを握って離さない。
 そうこうしているうちに電車は田端駅に到着した。ホームに目をやると、いつもの場所に奏子さんの姿を見付けて青ざめた。
 何故、この時間の電車に奏子さんがいるのだ。……今日、PHSを返すと言っていたから、一本前の電車で僕が乗っていなければ、あの人のことなら、そのまま学校へ向かうはず。……
 電車に遅延でもあったのかと思いながら腕時計を見ると、自分の愚かな失敗に絶望した。麻衣子に追い駆けられて気が付かなかったが、あの時に僕が飛び乗った電車は、いつもより一本早い電車で、今、乗っている電車がいつも通りの時刻なのだ。
 僕と麻衣子を乗せた車両の扉は、奏子さんが並ぶ乗車列の前で停車した。
 人生そのものが終わった気持ちになった。下車する乗客達が、僕と麻衣子を押し出して、奏子さんの前まで運び出す。
 奏子さんは、きょとんとした顔をして僕達のことを見ていた。
「あ、ああ、……おはようございます。」
 いくら麻衣子がいるといっても、奏子さんに他人のふりをするわけにもいかないから、とりあえず朝の定番である声を掛けた。僕と奏子さんが知り合いであるのを認識した麻衣子は、番犬が見知らぬ訪問者を見るような目で奏子さんを睨みつけている。
「あ、彼女?へぇ、朝からお盛んなのね。はい、これ。」
 奏子さんは、僕の事情など全く気にすることのない様子で、PHSを差し出して来る。
「ほら、やっぱり女だ。つーか何でピッチ渡してんの!」
 麻衣子は、僕の鞄から手を放して奏子さんの前に立ちはだかると、奏子さんの手からPHSをもぎ取った。
「あんた誰?まさか彰、こんなブスが趣味なの?ありえないんだけど、こんな座敷童みたいな女。」
「麻衣子!」
 迷いや考える間のない行動だった。僕は咄嗟に麻衣子の頬を叩いていた。とにかく奏子さんを傷つけるようなことを言ったのが許せなかったのだ。
 奏子さんは、言い返すようなことや悲し気な表情をするようなこともなく、その場を立ち去った。
 慌てて奏子さんを追い駆けようとする僕を、麻衣子は腕を鷲掴みにして引き止めた。
「何するのよ!ふざけんなよ!」
 麻衣子の平手が、僕の頬を叩きつけた。プラットホームに僕への罵声が響き渡る。この場にいる全ての人々が注目している。ホームの端からは、制服を着た駅員らしき人間が、こちらに向かって歩いて来るのが見えた。
 麻衣子は涙を浮かべた瞳で僕を睨み付けるが、彼女に悪いことをしたとは思えない。むしろ張りつめていた糸のようなものが、僕の中でプツリと切れて、情すら無くなっていた。
「もう別れよう。……」
 その言葉を伝えると麻衣子は間をあけることなく、再度、僕の頬を叩きつけた。
「あんたにそんなこと言われなくてもね、私は一分前から別れてるつもりよ!バカ!死ね!」
 駅員が僕達の所へ辿り着くと、麻衣子は走り去って行った。ここにくるまで一部始終を見ていたのだろう。駅員も、「他の人達に迷惑だから、こんな所で喧嘩しちゃだめだよ。」と声掛けるだけだった。
 足元に落ちていたPHSを見て、虚しさを感じた。何に虚しさを感じているのか分からないが、心の中が空っぽになっていた。
 麻衣子を失ったことや、奏子さんを傷つけてしまったことなど、特定の理由に縛るのではなく、世の中の出来事の全てが真っ白になっていた。
 これから夕方までの時間を学校で束縛されることが窮屈に思えると、このホームから立ち去り、山手線の車両へ乗り換えた。

 

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