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ラブストーリー

オクターヴ上げて奏でる[1] ポロネーズ

   2017年12月11日  

 ドアが開き、雪崩のように人が下車すると、空いている座席を見付けた。この通勤ラッシュの時間帯に、皮肉にも今日は僕が強運の持ち主のようだ。
 腰を掛けると、先程まで座っていた人間の温もりが残っている。見知らぬ人の温もりなど心地の良いものではない。目の前のサラリーマンが『お前が座るな』と言うような目で見ている。
 けれども今、唯一の幸運であろうこの座席を譲る気にはなれず、寝たふりをして誤魔化した。
 目を閉じると、周りの音だけに意識が向けられた。人の話し声はあまり聞こえない。窓の外からは風を切る音、車内のアナウンス、車両の揺れる拍子が、時の刻みに思える。
 行く宛もなく乗った電車は、乗り続けていればぐるりと回り、同じ場所へ戻って来るだけの電車。
 それは現実から逃れることのできないループにも思えたが、今はそれに身をあずけようと思った。

 彼女と別れた日に酷く落ち込んでいた友達を思い出した。話し掛けても、ろくに交わそうとはせず、授業中も机に顔を伏せたままだった。
 ウオークマンで音楽を聴きながら寝ている彼を注意した教師が、その本体を顔に投げつけられて鼻血を流していた。
 彼はそのまま指導室に連れて行かれ、一週間の停学処分になっていた。
 停学処分が解けた彼は、登校するや否や、教室で煙草を吸って再び停学。今度は二週間だと告げられたが、自ら退学を望んだそうだ。
 彼はその出来事を、どこかで武勇伝として語っているのだろうか。……僕には滑稽なことに思えて、それを真似する気にもなれなかった。それだけ麻衣子を愛していなかったと言われれば、それまでの話だ。
 ただ、このPHSが僕の手元へ戻って来たことは、奏子さんとの繋がりが途切れたことに思えて切なくなる。
 車両内の乗客も減って空いている座席も増えてきた頃、ポケベルが振動しているのに気が付いた。
『ガツコウコナイノカ』『タカシ』
 途方に暮れている間に、学校では一限目の授業が終わる時刻になっていた。 
 こうしていても仕方がないことに気が付いた僕は、今日、一番の運により座ることができた座席を立ち上がると、浜松町の駅で降りて、公衆電話から崇のポケベルへメッセージを送った。
『イマカライク』

 京浜東北線に乗り換えて、蒲田駅に向かった。座席は空いていたが座る気にもならず、吊革につかまって外の風景を眺めていた。
 車両の窓の景色が移り変わろうとも、頭の中で考えることは変わらない。見慣れた風景を眺め、いつもの朝と違うのは太陽の位置だけ。射し込む陽射しが顔に当たるのが邪魔臭い。
 鞄の中からイヤホンを取り出して耳に付けると、カセットテープのウォークマンを再生した。流れる曲はカーペンターズの歌。
 洋楽はあまり聴かないが、カーペンターズだけはよく聴いている。和訳はよく分からないが、カレンの歌声が好きだ。
 今朝、家を出た時は心地よい気分で《トップ・オブ・ザ・ワールド》を聴いていた。
 《シング》《オンリー・イェスタデイ》《青春の輝き》カレンの歌声は僕の中で、奏子さんのピアノと共通するものがある。それは言葉ではなく、歌声や音色に惹かれたことだ。
 今は嫌がらせのように、《レイニー・デイズ・アンド・マンデーズ(雨の日と月曜日は)》が流れている。とは言っても、昨日の月曜日は空も心も快晴で、とても良い月曜日だった。だが、何曜日であろうが、この曲のメロディーは心を落ち込ませた。
 ちょうど一曲聴き終えた所で、電車は蒲田駅に着いた。制服姿が下車するのは僕だけだった。
 学校に着くまではイヤホンを外さなかった。今度は《スーパースター》が流れている。また嫌がらせのように失恋の歌だ。
 歌詞を今の自分と被らせる。『会いたいんだ。……憂いを帯びたギターの音色を聴かせてくれ。……』と言っている。それくらいの和訳はできる。
『会いたいんだ。……憂いを帯びたピアノの音色を聴かせてくれ……』
 そうやって聴いていると、心は暗がりの中を歩くような気持ちになった。

 学校へ着いたのは、まもなく二限目が終わろうとしている時間だった。校門は生徒が下校する時間まで閉まっているから、来客口から事務室に、「病院へ行っていて遅刻した。」と嘘をついて校内へ入った。
 朝なら生徒達がすし詰めの状態で乗りあうエレベーターも、今は僕が独占している。
 四階まで上がりエレベーターから降りると、各教室から授業を熱弁する教師の声が聞こえた。
 自分の教室である二年A組の扉を開けると、教壇に立っていたのは国語教師の有田だった。
 毎日の時間割など気にせずに、ただ、ただ、学校に来ているだけだから、この先生の時間に遅刻してきたのは厄介だと思った。とにかく口うるさくて、僕が一番苦手としている教師だからだ。
 有田は僕の顔を見ると、遅刻の謝罪を聞き入れる間も無く、説教じみたことを言ってきた。
「こんな時間に来て、……会社だったらクビになるぞ。」
 いつもの僕なら、「すみませんでした。」と言って席に着くだけだが、今の僕は人生そのものを投げやりにしていた。だから、有田の説教が癇に障ってしかたがなかった。
「あぁ、でも、ここは学校なんで。」
 僕の言葉を引き金に、教室の生徒達がどっとざわめき出した。教室の後ろ側から、教壇に立つ有田の顔を見ると、遠目からでも顔が引きつっている様子が分かる。
 いつもであれば、この後は僕を見せしめにして、生徒全員へ説教じみたことを言い始めるのだが、今日は僕一人が的になった様子だ。
「なんだ、その態度は!こっちに来い!」
 机と机の間を歩き、教壇へ向かう僕の姿を、皆はレッドカーペットの上を歩く俳優を見るように注目した。
 周囲を横目で見ると、大半の者がニヤニヤと笑っている。
「いいぞ、彰、いけいけ!」なんて声も聞こえる。

 

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