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ラブストーリー

オクターヴ上げて奏でる[1] ポロネーズ

   2017年12月11日  

 一夜明けた朝、僕はいつものように通学電車に乗った。JR京浜東北線で、赤羽から蒲田まで向かう僕は、通勤ラッシュの満員電車で約四十分の時間を過ごす。
 私鉄と乗り換えのある駅に辿り着くと、それは最悪だ。たたでさえ混んでいた車両には倍に増えたと思うくらいの人が乗ってきて、車内はすし詰めになる。
 綺麗なお姉さんと押し合うのであれば、洗いたてのような髪の匂いに僅かな喜びを感じるが、中年男性と向き合うのは最悪だ。汗と整髪料の匂いが、三十年後の自分を絶望に突き落とす。
 僕は、この車両で座席に座れるなど、よほど強運の持ち主だと思っている。
 そんなことを考えているうちに、電車は東十条、王子、上中里の三駅を停発車して、田端駅に着く。ここで山手線に乗り換える為に大勢の人が下りる。
 鍵の開いた牢獄から一斉に脱走する囚人達のように人が出ていくと、向かい側のプラットホームを背景にして、昨日、彩乃さんと一緒にいた女の姿が見えた。
 紺色のブレザーに、灰色のスカート。首元に蝶ネクタイを付けた彼女は、普段であれば気にも掛けないほど地味な女子高校生だが、バサバサに傷んだ髪を見れば、誰だか直ぐに分かった。
 顔を見て僕が思わず、「あ、……」と声を出すと、彼女は何も言わずに、ぽかんと口を開けて僕を見たが、目が合うと口を閉じて視線を逸らした。
 そんな彼女を、後ろから乗り込んでくる乗客の群れが僕の体に押し寄せた。頭一つ分くらい低い背丈の彼女の頬が僕の二の腕に当たると、彼女は気まずそうにして顔を横に向けた。
 彩乃さんと同じ高校の制服を着ているから、学校の友達か後輩なのは分かった。それならば挨拶くらいはするのが礼儀。ましてやこの至近距離で、面識がある人間と無言で過ごすのも気が引ける。
「どうも。」と声を掛けると、彼女は目も合わせようとせずに、口から洩れたような声量で「どうも。……」と言っていた。折角気を遣って声を掛けたのに、感じの悪い返答だ。
「君も音楽科の高校に通っているの?」
 彩乃さんは、上野にある高校の音楽科へ通っているのを知っていたから、とりあえず社交辞令のような会話で話を切り出すと、彼女は小さく首を傾げて、「そうですけど。……あと、その、多分ですけど、私、あなたの一つ年上ですから、女だからって低い立場で見るの、やめてもらえますか。」と言ってきた。
 よくも初めての会話で、そんな返答ができるもんだと驚いた。
 普段なら癇に障る態度だが、今は呆気にとられてしまい、無意識に「すみません。……」と、言葉が出るだけ。
 このまま会話を続ける必要もなかったのだが、横柄な奴と思われるのは癪なので、「でも凄いですね、音楽科なんて。僕なんて普通科だから、何の取り柄もないですよ。」と、次の会話を切り出したら、彼女は「普通?」と言いながら、また首を傾げた。
「何の取り柄もないのが普通なんですか?」
「あ、いや、……そういう訳じゃないけど。ほら、特殊なことはやらないから。」
 彼女との会話に戸惑っていると、今度は「特殊?」と言いながら、その言葉にも首を傾げている。
「ほら、普通科って国語とか、英語とか、普通の授業ばっかりだから。」
 癇に障ることを言ったつもりは全くなかったが、僕の言うことは気に食わないのが表情を見て分かる。
「それが普通。へぇ、……私にとっては音楽を演奏することも、聴くことも、普通だと思うけど。」
 彼女はそう言いながら、イヤホンを付けて音楽を聴いている男性の姿を見ると、人混みに押し出されながら上野駅で降りて行った。
 僕は、しばらく唖然としていたが、時間が経つと頭の中を針でつつかれるように、チクチクと苛立ちが募った。
 たかが一つ年上なだけで女に子供扱いされるのは、男として癪に障る。それに、あの上から目線の態度は、それだけでも自分のことを人よりも特殊だと思っている証拠だ。
『それが普通。へぇ、……』なんて言っているあの女の顔を思い出すと、蟀谷のあたりで脈打ちが速くなるのを感じた。

 学校に着くと、僕はすぐさまに苛立ちを崇に当て付けた。
「おい、何なんだよ、あの女!」
「あの女?」
「あのモップみたいな髪の毛の女だよ!」
 崇は口を開けてきょとんとした顔をしていたが、誰のことか検討が付くと腹を抱えて笑い出した。
「ハハハ、カナコさんのことか。モップ、……そりゃぁ、いいや。」
 崇の大笑いが止むと、彼女は誰なのかを訊いた。
 相原奏子と言う名前。彩乃さんと同級生で、学校ではピアノを専攻していること。崇の家に遊びに来ることもあり、その時は特に変わった様子もないこと。
 ちなみに彼氏はいないよと崇から聞いて僕は、「そりゃあ、そうだろ。」と応えた。
「あ、そうだ。今週の土曜日、姉貴の学校、学園祭なんだよ。一緒に行こうぜ。」
 僕は、崇からの誘いに気乗しないのを溜め息を吐いて示す。
「姉貴の友達はいまいちなんだけど、お嬢様みたいな女の子もいいぜ。目の保養になるからよ。」
 チャラチャラとした言い方であったが、崇もそのような音楽に詳しいのは知っていた。
 彼の家は両親共に教師で、音楽に携わっている。父親は中学校の国語教師だが、吹奏楽部の顧問。母親も中学校の音楽教師。
 崇と僕は高校に入ってからの付き合いだが、中学一年まではピアノを習っていたことを聞いたことがある。彼はその話をすると、恥ずかしい過去の話だと嫌がる。まあ、僕も男がピアノを弾けるのを格好いいと思えるのは、ウイスキーをロックで飲むジャズバーにでも行くようになったらだと思う。
 崇は今、軽音部に所属してベースを弾いている。中学の頃に弾き始めると、母親はピアノを弾けと煩かったらしい。

 

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