幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

ノンジャンル

モラトリアム・スコア 「無職」でいるために

   

「お帰りなさいませ、ご主人様」
 割り当てられた個室のカギを指で開けると、うやうやしく落ち着いた合成音声が出迎えてくれる。
 もっとも最近ではかしずかれている気分を味わうことは難しい。「彼女」の態度と現実とが違い過ぎて、理想に逃れることも難しくなっている。
「ご主人様、か。お前は一体何人ご主人様がいるんだ? 職のない人間を仕事をしているお前があがめるというのも、ちょっとなさそうな話じゃないのか」
「私は、セルクティリアはずっとご主人様の忠実なメイドでございますよ。たとえどこにおられようと、何歳になられても」
 センサー感知式のPCの液晶画面の中で、当代一流の絵師とAIの力によって、これ以上ないほどの笑みを見せるメイド服の少女のまっすぐな瞳を、栗島は正面から見返すことはできなかった。
 大学院に進むにあたって、このソフトを購入、いや、彼女を預からせて貰ったのだが、学業の壁にぶつかりバイトでヘコまされ、理想の存在にはなれそうもない自分に気付いていた。
 何より、幾度かの失敗で完全に心が折れてしまい、絶対に働きたくなくなっている自分を自覚してしまい、高い理想を持てなくなっている。
「サンキュー、セルク。そういうお世辞は菅井にでもしてやってくれ。仕事の話、入ってきてるんだろ? 学生自治会も年末進行だからな、二人や三人、原稿を落としちまった部員が出ているはずだ」
「はいっ、ご主人様! さすがと言いますか、自治会から三本、職員様方の会報として二本、記事や原稿のご依頼があります。報酬はいつもの三割増しですよ!」
 少し難しい顔をしていたセルクは、唐突とも言って良いほど表情と声の調子を変え、「主人」を称えた。
 予想通りだったとは言えありがたい話に、栗島は椅子に投げ出していた身をびしりと固めて作業に臨もうとした。
 しかし、キータイプを始めようとしたその時、おや、という風に目を丸くしたセルクが「ご主人様」と聞いてきた。
「ウェブチャットが入ってきています。お知り合いから」
「今は仕事中だから、後にしてくれ。向こうにはセルクからうまく言っておいてくれ」
「しかし、ご主人様。一万ポイントも使っての条件付けですよ。松崎様から」
「な……っ!!」
 意外過ぎるほどのメイドの言葉に、栗島は思わず節句した。その隙を縫うように画面が切り替わり、松崎の姿が大写しになった。
 先ほどの「ステレオタイプなオタク像」とはまったく別のパリッとしたスーツ姿であり、いかにも大学で頭を鍛えてきた有能な新入社員といった風情がある。

 

-ノンジャンル
-, ,


コメントを残す

おすすめ作品

怪盗プラチナ仮面 28

   2018/01/23

生克五霊獣-改-14

   2018/01/23

オクターヴ上げて奏でる[8] オクターヴ

   2018/01/22

アストラジルド~亡国を継ぐ者~アグランド編 第39話「踏み出す一歩」

   2018/01/22

君がいない世界なら、僕は生きていけない・4

   2018/01/19