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歴史・時代

大正恋夢譚 〜萩〜 <後>

   

「いつか、こういう日が来るんじゃないかと思っていたんですよ」
「ぼうやと春子ちゃんの、どちらを選ぶか……という?」
「ええ」

小説版『東京探偵小町』外伝
―ニュアージュ&縞―

Illustration:Dite

 

「銀さん、今日は本当に、なんとお礼を言えば良いのやら」
 肩を並べて夜道を行く途中、お縞姐さんがふと立ち止まり、僕をしみじみと見つめた。しっとりした和装に品良く結い上げた日本髪、そのなかにあって、異質ながらも目を奪われるイブニング・エメラルドの瞳。その輝きを決して忘れまいと、僕もお縞姐さんと視線を重ねた。
「銀さんや若旦那さまには、考えなしの軽はずみに見えるんでしょうけど……あたしね、だいぶ前から、いつかこういう日が来るんじゃないかと思っていたんですよ」
「絵描きのぼうやと春子ちゃんの、どちらを選ぶか……という?」
「ええ。お春ちゃんはもとから、女学校に上がるのを、ひどく反対されていたようなんです。それで校費生って言いましたかね、お金の掛からない、半分が女学校の小使いさんみたいな生徒さんになったんだとか」
「そうだったんですか」
 うなずいて小さく息をつき、お縞姐さんは新月まであと二日の、細く頼りない月を見上げた。
「あたしの生まれた芸者の置屋なんかもそうだったんですけどね、人間の女の人っていうのは、なかなか自分の思う通りにはできないものなんですよ。親が決めたところがあれば、そこに行くしかないわけでしょう。嫁ぎ先でも、奉公先でも」
「ええ」
「お春ちゃんの場合だってねえ、そりゃあ、親御さんはお春ちゃんのためを思って、骨折りしてくだすったんでしょうけど…………」
「春子ちゃんには辛いでしょうね。かと言って、誰もが探偵小町のようには行きませんし」
「そりゃあもう、あのお嬢ちゃんは特別のなかの特別ですよ」
 たしかに、探偵小町には抜きん出た行動力と意思の強さがある。そうでなければ、いくら護衛役の青年たちがついているとは言え、かよわい少女の身で怪盗の狙う宝石を警護しようなど、思い立つことすらできないだろう。
「だからあたし、お春ちゃんがせめて無事にお嫁に行くまで、ついていてあげようと思って」
「お縞姐さんらしいです。春子ちゃんも、お縞姐さんと一緒なら、辛いことがあっても乗り越えていけるのではないでしょうか」
 お縞姐さんはこくりとうなずくと、草むらから虫の音が聞こえてくる角を曲がり、帝大前に広がる森川町の界隈に入った。
 気づけばすっかり夜は更けて、家々のあかりも、ほとんど見られない。どこかの家の、暑いからと開け放たれた窓から柱時計の鐘の音が聞こえ、僕たちは日付が変わったのを知った。
「お春ちゃんがお嫁に行く頃には、あたしも大年増。新しい住処も平塚のもっと向こうですからね、もう銀さんにお目にかかる機会もないのでしょうね」
 ふさわしい言葉が見つからず、僕はただ、うなずいた。僕もお縞姐さんも、わかっているのだ。今夜を限りに、もう二度と会うことはないのだと。
「あたしに『縞』という名前をつけてくだすった若先生、あの子はきっと大丈夫。これからねえ、良いお友達がたんとできると思うんですよ」
「ええ。探偵小町も、あのぼうやを気に掛けているようですしね」
「そうそう、まるでお姉さんと弟のようで。これからも、長くそうあってくれるといいんですけど」

 

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