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歴史・時代

東京探偵小町 第九話「約束の子」 <1>

   

「僕は、いつかは、話せる日が来るかもしれないと思っています。今はまだ無理でも、僕ら三人全員が強い心を持った暁には……真実を話したほうがいいのではないかと思うんです」

小説版『東京探偵小町
第三部 ―魔人編―

Illustration:Dite

 

 産声が、響いた。
 知識らしい知識もないまま、それでも二つの命を救いたい一心で立ち働いていた老女中が、顔をしわくちゃにして女児だと告げる。淑子は生まれたばかりの赤子をそっと抱き取ると、瞳をうるませて神に感謝を捧げ、赤子の額にそっと接吻した。
「ようちゃん、見て、女の子よ」
 淑子は静かに膝を折ると、離れの土間に横たわる葉子に、彼女の娘を見せた。薄暗く寒々とした土間は、お世辞にも新しい生命の誕生にふさわしい場所とは言えなかったが、淑子はこの場に神々しささえ覚えていた。
「ほら、見て。こんなに元気でかわいい女の子」
 我が子の顔を見て微笑むものの、葉子のほうには、もはや手を伸ばす力さえない。葉子は苦しさをこらえて、すがるように淑子を見上げた。
「お姉さま…………赤ちゃんを……わたしの、赤ちゃんを」
「ええ、わかったわ。この子を今すぐ、教会に預けて来ればいいのね? ようちゃんの子だとわからないように、名前を伏せて預けてくればいいのね?」
 淑子の問いかけに、葉子は弱々しくうなずいた。
「ごめん、なさい……お姉さまに、こんな、迷惑…………でも……わたし、もう……お姉さましか…………」
「何を言っているの。昔、女学院の庭で、御メダイを交換したときに約束したでしょう。ようちゃんが大変なときは、きっとわたしが助けてあげるって」
「おね……さま…………」
 葉子の額に浮かぶ汗をそっと拭ってやり、淑子は力強くうなずいてみせた。やがて淑子は、老女中から簡単な産湯を済ませた赤子を抱き取ると、襦袢を引き裂いただけの間に合わせの布で赤子をくるみ、もう一度、葉子を見た。
「大丈夫よ、もう何も心配しなくていいから、安心して休んでらっしゃい。神父さまによくお願いしておくから、ようちゃんが元気になったら、二人で迎えに行きましょう。いいわね?」
 かすかにうなずく葉子の眦から、涙がこぼれ落ちる。それを見た淑子は、葉子がこれまでにどんな辛い目を見てきたのか、どうしてもっと早く助けてやれなかったのかとくちびるを噛み締めた。
 学年が離れていたせいもあり、二人が同じ学び舎で過ごしたのは、わずか一年間にすぎなかった。けれど、その一年間が、どれほど多くのものを少女たちにもたらしたことだろう。
 葉子は淑子を「お姉さま」と慕い、淑子はまだ幼さのにじむ葉子を「ようちゃん」と呼んで、細やかな情愛を注いだ。交わした手紙は数知れず、このまま大人になんてならないと誓い合った日も、一度や二度ではなかった。
 けれど、淑子が学び舎を去って縁付くと、少女の日は美しい思い出のなかに閉じ込められた。互いに相手を恋しく懐かしく思いながらも、交わす便りは年々少なく、滞りがちになり、やがて葉子にも人の妻に納まる日がやって来た。
 それが地獄の始まりだと知ったのは、いつだったか。
 助けを求めても救いの手はなく、葉子は我が子を守りたい一身で、身重の体に鞭打って婚家から逃げ出し、淑子を頼って横濱までやってきた。そうして産婆すら呼べないまま、離れの土間で女児を産み落とし、今、その力のすべてを使い果たそうとしていたのだった。
「じゃあ、わたし、行くわ。ようちゃんは、とにかく少し眠って、体を休めるのよ。おくに、ここの片付けは後でいいから、先にお医者さまをお呼びして」
「はい、奥さま」

 

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