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歴史・時代

東京探偵小町 第十話「闇の囁き」 <2>

   

「おまえはしばらく、この邸で大人しくしておいで。無茶をして、おまえにまで片方の輝石をなくされてはかなわない」
「御主人さま、あまり僕を見くびらないで頂きたいですね」

小説版『東京探偵小町
第三部 ―魔人編―

Illustration:Dite

 

「なんだ、その態度は。喰っておいて文句を言うつもりか?」
 やがて、身支度を整えたリヒトが姿勢を正すよりも早く、逸見が口を開いた。叱るような口調だが、怒気はほとんどない。黙って首を振るリヒトのほうも、奇妙な酔い心地のただなかにいるせいか、動きがどこか鈍かった。
「貴様はもともと、あの子供を喰らってやりたいと思っていたのだ。だから糧の味に酔う」
「違います、オレは」
「違う? どこが違うのだ。欲しい、喰らってやりたいと思うから執着する。人間どもが、ときに我が主を頼るほどに傾倒する愛だの恋だのという代物も、相手を喰らってやりたいという本能的な欲求を、美辞に置き換えただけのことだ」
 反論したいという気持ちはあっても上手い言葉が見つからないのか、リヒトが口をつぐむ。
 早熟な芸術家らしく、人一倍気難しいことで知られている蒼馬が、なぜ周囲から「狂犬」などと呼ばれている自分に気を許し、好意めいたものを寄せてくれるのか。その本当の理由など知る由もないが、リヒトが蒼馬の持つ「寂しさ」に共感を覚えているように、蒼馬もまた、リヒトの背負う孤独を肌で感じ取っているようだった。
 だからリヒトは、せめて彼の息災な日々を祈りたいと思っていた。最初は、晃彦をこの「晃彦の皮を被った悪鬼」から取り戻せるなら――その日が来るまで生き永らえることができるなら、蒼馬の命を奪うことはもちろん、糧として喰らうことさえも、躊躇なくできると思っていたリヒトである。だが、この夏の終わりに蒼馬から贈られた一枚の絵が、その考えを大きく変えていた。
(輝彦兄さん…………)
 リヒトは、蒼馬から贈られた絵を脳裏に思い浮かべた。律儀にも一年近くも前の約束を覚えていたらしく、その水彩画には、満開の桜の下に立つ、亡き輝彦と自分が描かれていた。
 その絵が、リヒトにとってどれほど励みになったことだろう。
 はにかんだように微笑む亡き輝彦の絵姿が、絶望の淵に沈みかけていたリヒトに、そこから這い上がる力を与えてくれたのである。囚われの身となっているらしい晃彦を救い出すためにも、亡き輝彦のためにも、どんなに辛くても決して屈せずにいよう。そう自身の心に誓うと同時に、リヒトは自分に勇気を与えてくれた蒼馬の安寧と幸福を、切に願うようになっていた。
 守ってやることはおろか、そばにいてやることも、優しい言葉をかけてやることもできないかわりに、彼を包み込んでくれる優しい友人が現れることを心から願う。蒼馬を喰らってでも、などという誤った決意は、もう微塵も残っていないはずだった。
(それなのに)
 リヒトはもう一度、くちびるを噛み締めた。
 蒼馬から奪い取ったものだという精気を与えられているあいだ、陶酔にも似た快さを感じていたのは、紛れもない事実だった。言外に蒼馬のものだと知らされなければ、「もっと欲しい」と願ってしまったかもしれない。それどころか、知ってしまった今でも、心のどこかで強烈に欲している。
 その上、蒼馬が口では生意気なことを言っても心の奥底では姉のように慕い、憧れを秘めて見つめている少女を、果てのない地獄へ突き落とそうとしているのだ。その二つを思うと、リヒトはみずからを呪うしかなかった。
「フン、まあいい。ともかく貴様はあの子供の味を知った。しかも美味いものとして記憶に留めた。ククッ、どうせじきに死ぬ子供だ、気に入ったのなら今のうちに喰っておくがいい」
「兄上」
「あんなつまらぬ絵を描き散らして命を縮めるくらいなら、我等の糧にしてやったほうがよほど役に立つというものだ」

 

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