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歴史・時代

東京探偵小町 第十一話「朝まだき」 <2>

   

「前にね……父さまが言っていたの。真実は宝だって。真実には、喜びだけじゃなくて、苦しみもある。知ることにも伝えることにも勇気がいるときがあるけれど、それでも、真実は宝だって」

小説版『東京探偵小町
第三部 ―魔人編―

Illustration:Dite

 

 愛する父と新橋事件の犯人の影が重なった瞬間――時枝は悲鳴を上げた。上げたはずだった。だが時枝には、なぜか自分の声が聞こえなかった。
「先生!!」
「大将ッ!!」
 倫太郎と和豪が、遠くからこちらに駆け寄ってくる。二人の叫び声で時枝もハッと我に返り、目の前の、ほんの少し走れば手が届きそうなくらい近くにいる父を助けようとした。だが、その体はまるで凍りついてしまったかのように、ピクリとも動かなかった。
(と・き・え……………………)
 父が、自分を見ている。
 自分の名を呼んでいる。
 次いでその口から、大量の血液があふれた。
(父さま!)
 父の瞳から急速に光が失われていき、糸の切れた操り人形のように、あっけなく地面に倒れ伏すのを時枝は見た。包丁が深々と突き刺さった胸からは赤い液体がとめどなく流れ出し、乾いた地面に大きなしみを作っていく。
(父さま、父さまあっ)
 駆けつけたいのに、手を差し伸べて救いたいのに、身じろぎすらかなわない。そんな時枝の無力さをあざ笑うかのように、犯人は朱門の体から刃物を引き抜くと、何度も何度も刃を突き立てた。
(やめて、父さまが死んでしまう! 父さまが!)
 必死に叫ぶ時枝の目の前が、ふいに赤く染まった。何かが自分の顔についたと感じた瞬間、全身を戒めていた呪縛が解け、時枝は震える手でみずからの頬に触れた。
 その指先に、何か赤いものがつく。父の血が自分の顔にかかったのだと知った時枝の喉から、今度こそ、無音ではない悲鳴がほとばしり出た。
「ひどい。ひどい。こんなのってない」
 途方もない怒りと悲しみが、体内を駆け巡っていく。気づくと時枝は、犯人に向かって駆け出していた。その手にはいつしか、犯人が手にしているものと同じ刃物が握られていた。
(よくも)
 どうすることもできない怒りと激情に駆られて、時枝は犯人に体ごとぶつかった。
(あたしの父さまを)
 それでも自分では、犯人を父から遠ざけるために、突き飛ばしただけのつもりだった。それなのに、誰かの苦しげなうめき声が時枝の耳に届く。なんと言っているのか、誰の声なのか、時枝にはそれすらもわからなかった。
「うそ……………………」
 やがて時枝の前で、犯人がどうっと崩れ落ちた。
 その腹のあたりから赤いものが噴き出し、急速に地面に広がっていく。それを見て、時枝はようやく、自分のしでかしたことに気づいた。
「う、そ……あたし……………………」
 時枝は血濡れた刃物を握り締めたまま、何歩かあとじさった。だが、それよりも血の広がりのほうが早く、赤い水たまりが瞬く間に編み上げ靴の先に迫り、靴底を濡らした。

 

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