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歴史ファンタジー

東京探偵小町 第十一話「朝まだき」 <2>

   

「ちが……違う……あたし、そんなつもりじゃ…………!」
 赤い水たまりは時枝の足元を覆い尽くして、さらに広がっていく。よろめき、転び、誰かに助けを求めようとした時枝の目に、自分の手元でぎらぎらと光るものが映った瞬間――時枝は自身も耳をふさぎたくなるような絶叫を上げた。

 弾かれたように体を起こし、時枝は震える手であかりを探した。帰宅してからどれほど眠っていたのか、あたりは闇と静寂に包まれている。夜というより、もう真夜中なのだろうか。
 全身がガクガクと震えているせいか、小机にある洋灯にあかりを灯すことすら、うまくできない。息ができないくらいに胸が苦しく、首からかけた父の形見の十字架がひどく重かった。さっきの、あまりにひどい夢から逃げ出したくて、時枝はよろめく足を叱って部屋から出た。
「違う、違う。違うわ、あたし、あんなふうになんか思ってない…………!」
 部屋を出た先にある、階下へと続く階段の手すりに掴まって、時枝は目覚めてもまだ自分に絡み付いている悪夢から逃れようと、何度も何度も頭を振った。
 父が刺される瞬間を実際に目撃したわけでもないのに、どうしてあんな夢を見てしまったのだろう。いや、父が刺される場面だけを夢に見たのなら、まだいい。
 そのあとに続く、怒りと哀しみに狂った自分が犯した罪。
 たとえ夢のなかの出来事であっても、時枝は怖くて怖くて仕方がなかった。
「…………父さま」
 露台に続く窓からのあかりと、柵状になっている階段の手すりを頼りに、時枝はどうにか一階に降りると、事務室の両開きの扉を開けてなかに入った。
 窓の外が白々としているのに気づき、事務室の中央に掛けられた振り子時計に目をやると、針は午前四時半を指していた。となれば、すでに真夜中という時間帯も過ぎて、明け方に近い。だが、日の出までにはまだ一時間ほどあるせいか、街はどこもかしこも寝静まっているようだった。
「父さま」
 時枝は、振り子時計のちょうど真向かいに飾られた、父の写真の前に立った。在りし日の父が、簡素な額に縁取られた写真のなかで、優しく穏やかに微笑んでいる。時枝は小刻みに震える手を伸ばし、薄いガラス板にふれてみた。
 だが、ガラス板の冷たさが、夢に見た朱門の遺体の冷たさを想起させ、傷ついた心がさらに追い込まれていく。時枝がたまらず自分の肩を抱き、その場に座り込んだときだった。
「お嬢さん?」
 倫太郎が、開け放してあった事務室の扉からそっと顔をのぞかせ、小さな洋灯で時枝を照らし出した。その背後から和豪もやってきて、無言で倫太郎を追い越し、時枝の横を通り過ぎて、倫太郎の執務机にある電灯をつけた。
「倫ちゃん……わごちゃん…………」
「お嬢さんのことが気になって……なんだか昨夜は、眠る気になれなくて」

 

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東京探偵小町 第十一話「朝まだき」<全4話> 第1話第2話第3話第4話

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