幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

歴史・時代

大正恋夢譚 〜木春菊〜 <後>

   

「いえ、あの……まさかこんな時間まで待っていてもらえるなんて、思いもしませんでした」
「だって、待っていたかったんだもの」

小説版『東京探偵小町』外伝
―柏田一平&永原時枝―

Illustration:Dite

 

 リヒトくんから預かった書類を渡しつつ、時枝さんと観劇に行く話をしたら、道源寺警部は案の定、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
 僕だって今さらながらに、この僥倖に驚いているのだ。
 出前が来るのを待ちながらそうなった経緯を詳しく話すと、警部はこくりとうなずき、「帰りもしっかり送ってやれよ」などと言った。もちろん、そのつもりだった。
 そうして瞬く間に土曜日が終わり、なかなか寝付けない夜を過ごして、僕はついに日曜の朝を迎えた。洗濯屋から戻ってきた秋用の背広に、姉さんからもらった新品のネクタイを締めて、僕は朝餉もそこそこに亀井町の古道具屋に急いだ。
「ごめんください」
「おや、先だっての刑事さん」
 古道具屋の引き戸を開けると、店番をしていた中年の店主が、新聞から顔を上げて僕を見た。
「まだ何か、お話しするようなことがありましたかね」
「いえ、今日は私用です。実はその、そこの飾り棚にあるブローチを頂きたいのですが」
「ブローチ? ああ、はいはい、これね。横濱の知り合いが持ってきてね、エゲレスからの舶来物だッて言うんだけど、どうだかね」
 幸い、目当てのブローチはまだ店先にあった。
 店主はレンズの厚い丸眼鏡をかけ、しばらくブローチの裏側を調べていたが、じきに降参とばかりに肩をすくめた。
「刑事さんだったら、ずうっとお安くしときますよ。台は赤銅、表は七宝で、物は悪かないと思うんでね。お使いもので」
「はい。あの、これってマーガレットという花でしょうか」
「はあ、そんなハイカラな花でしたか。じゃあ、舶来物だッての、案外本当だったかな。私ァまた白菊だとばっかり」
 店主はブローチの表面に息を吹きかけ、手拭いでゴシゴシやると、帳場の引き出しを漁って小さな紙箱を取り出した。本来は別の品が入っていたらしい紙箱に、懐紙で包んだブローチを入れ、値札より七十銭も引いてくれた。
「刑事さんのコレですかい」
 札入れから代金を取り出す僕を見て、店主が小指を立てて笑う。僕は慌てて首を振り、気づいたときには「妹です!」と大声で答えていた。
「そうですか、妹さんに」
「え、ええ。その……ちょっと祝い事があったもので」
「こりゃア良いお兄ィさんだ」
 長居をするとまたからかわれてしまいそうで、僕はブローチの紙箱を上着の隠しにしまうや、足早に店を出た。
「妹、か…………」
 口に出してみて、改めてわかった。
 十近い歳の差を考えると、妹とさえも呼べない気がする。それにまだ女学生の時枝さんから見たら、二十五の男など、とても遠いものに映るに違いない。
 内山くんたちのように一緒に暮らしているのならともかく、たまに顔を合わせるだけの、しかもこんな機会でもなければ、私的に会うこともないのだ。まかり間違っても、身近な存在だとは言えないだろう。
(別に、遠くたっていいじゃないか。何かを期待しているわけではないのだし)
 そう、別に何かを期待しているわけじゃない。
 ただ、時枝さんを――「女探偵になりたい」と願う時枝さんを、これからもずっと見守って行けたらいい。内山くんや滝本くん、道源寺警部とはまた違うかたちで、ほんの少しでも彼女の支えになることができたら、僕はそれで十分だった。

 

-歴史・時代

大正恋夢譚 〜木春菊〜<全3話> 第1話第2話第3話

コメントを残す

おすすめ作品