幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

歴史・時代

東京探偵小町 第十三話「氷中花葬」 <1>

   

「今夜一晩くらいなら、もちろん構いませんが……飼うんですか? 家に入れるなら、先のことも良く考えないと」
「バカ言うなィ。野良にいちいち構ってたら、キリがねェ」

小説版『東京探偵小町
第四部 ―鎮魂編―

Illustration:Dite

 

 帝都にあまたある大衆新聞のなかで、東亜新報は明治中期の発刊当初から「並」と評されていた。社の規模もやはりそれくらいでしかないため、東亜新報社では、掲載時期をさして問わない記事に関しては、記者が写真技師を兼ねる場合も少なくない。これもまた、経営陣からうるさく言われている「経費削減」の一環なのだった。
 その日、時枝に話した製氷の取材を終えたサタジットは、どこでどう道を間違えたものか、ふと気づくと、とある小さな墓地の前に出ていた。今日は直帰だからと、緊張感をゆるめて歩いていたのが、方向を間違う結果になったのかもしれない。
 サタジットは困ったように頭をかきつつ、茜色に染まる墓地を見渡した。誰かが供え、そのままになってしまったのだろう、枯菊が冷たい北風に揺れている。その光景に、サタジットは三年前の夏に他界した、若い友人を思い出した。
「テルヒコくん…………」
 つぶやいた名は、リヒトのものではない。
 リヒトがその名を受け継いだ、今は亡き逸見輝彦のものである。輝彦の葬儀は晃彦がシベリア出兵の直前まで住んでいた麻布の借家で行われたのだが、墓も遺品もみな郷里にあり、今、帝都に亡き輝彦を偲ぶよすがは何もない。晃彦が帰国後に移り住んだ赤坂の邸には、輝彦の写真一枚すらないのだった。
 晃彦の口から直にそれを聞かされたとき、サタジットは言いようのない寂しさを感じたが、晃彦の気持ちを理解しようと努めた。晃彦が歳の離れた弟をどれだけかわいがっていたか、良く知っていたからである。
 医学を奉じながら愛弟を救えなかった無念さが晃彦を戦地へと赴かせたのだが、彼はそこで重傷を負い、軍医としての役割すら満足に果たせないまま帰国を余儀なくされている。弟にも、戦地で苦しむ同胞にも何もしてやれなかった自分自身を、晃彦は強く責めているのではないか――サタジットは、そんなふうに考えていた。
 九死に一生を得て帰国した晃彦と再会したとき、サタジットは、かすかな違和感のようなものを覚えた。「隔て」のようなものを感じたのだ。だが、それも晃彦が失意に失意を重ねるあまり、感情を閉ざしてしまいがちになったせいなのだろう。今も変わらぬ親交はあるものの、昔日のような温かさがあまり感じられない付き合いである。サタジットには、それが少し寂しかった。
 そんな晃彦の唯一の救いは、これだけは麻布時代から変わらず、シズという通いの女中が日々の面倒を見てくれていることだろうか。晃彦にしても、いま心から気を許せるのは、母親代わりのシズだけなのかもしれなかった。
「それにしても……ナゼでしょうネ。ドクターとリヒトくんのことをかんがえると、いつも、このあたりがモヤモヤしますヨ」
 サタジットは長い指でこめかみのあたりをさすると、「うーん」とうなりながら大きく首を傾げた。新しく逸見家に加わったリヒトを含め、逸見兄弟のことを思うたびに、何かが胸の奥に引っ掛かるような気がしてならない。特にリヒトに会ったときに、その思いが強かった。
「リヒト…………ドイツゴで、ヒカリ……………………」
 晃彦の紹介のもと、初めてリヒトに会ったときに感じた、奇妙な懐かしさ。それをリヒトに伝えようと思ったのだが、うまい言葉が見つからず、今もそのままになっている。サタジット自身は再度の機会を探しているのだが、たまに逸見邸を訪ねてもリヒトは挨拶に出て来るだけですぐに下がってしまうため、サタジットはいまだにリヒトと親しく口をきいたことがないのだった。
 そして肝心の晃彦もまた、サタジットの来訪時に、リヒトに同席をすすめたことがない。そればかりか、縁あって逸見家に加わったこの独逸人の少年を、晃彦は「扱いにくい」と評することが一度ならずあった。亡き輝彦が明るく人懐こい少年だったせいか、無意識のうちに比べてしまうのだろう。

 

-歴史・時代

東京探偵小町 第十三話「氷中花葬」<全4話> 第1話第2話第3話第4話

コメントを残す

おすすめ作品