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歴史・時代

東京探偵小町 第十三話「氷中花葬」 <2>

   

「この子、やっぱり猫まんまは嫌いみたい」
「放っとけ。食わねェのは、腹が減ってねェ証拠だろ」
「外国の猫ちゃんよ、食べるものが違うのかもしれないわ。ねえ、牛乳をあげてみてもいい?」

小説版『東京探偵小町
第四部 ―鎮魂編―

Illustration:Dite

 

 新聞にせよ、電話にせよ、朱門がいた頃の体裁をそのまま残しておくために掛かる費用は、毎月かなりの額に上った。倫太郎が倹約に勤め、和豪が家庭菜園に励むのも、そうした台所事情があるからにほかならない。
 その一方で二人の胸には、抑えるところは抑えるにしても、時枝にあまり不自由な思いをさせたくないという、兄貴分らしい気遣いがあった。食費をできるだけ詰めようとするのも、時枝用の予備費を工面するためなのである。
 よって、九段坂探偵事務所の普段の食卓はごく慎ましいものだったが、夕食時にフラリとやってきた友人を、白湯の一杯だけで帰すようなことは決してしなかった。ふいに紛れ込んできた猫に対しても、それは同じである。
「変ね。やっぱり食べないわ」
 いつもより、二時間ほど早い夕食時。
 支度が整うまでの二時間、時枝は倫太郎の包丁の音を聞きながら代数と格闘し、和豪とサタジットはその横に中将棋の盤を置いて、久々の対局に興じた。春にサタジットが上方土産として持ってきた、陣形を整えるだけでも一苦労するという代物である。
 やがて台所からいい匂いが漂いはじめた頃には時枝の試験勉強も一段落つき、飛び入りのサタジットを含めて、四人で夕食の膳を囲むことになった。だが、配膳の手伝いを終えて席に着いたのもつかのま、時枝はサロンストーブの前で毛繕いに精を出している銀猫に目をやり、心配そうに眉をひそめた。
「ねえ、わごちゃん」
「どうしたィ」
「この子、猫まんまは嫌いみたい」
「放っとけ。食わねェのは、腹が減ってねェ証拠だろ」
「外国の猫ちゃんよ、食べるものが違うのかもしれないわ。ねえ、牛乳をあげてみてもいい?」
「たかが猫一匹、構いすぎなンじゃねェのか?」
「でも」
 和豪では話にならないと踏んだのか、時枝が倫太郎に視線を転じる。倫太郎が苦笑まじりにうなずいてみせると、時枝はすぐに台所に飛んで行った。和豪の用意した汁掛け飯には見向きもしなかった銀猫は、時枝が席を立つとわずかに伸び上がって首を巡らせ、再びその場にうずくまった。
「で、おめェ、十二階へはいつ行くつもりなンだよ」
 時枝が銀猫を構うのが気に喰わないのだろう、和豪がわずかに険のある口調で話題をもとに戻す。さっきからサタジットは、今日の製氷所での取材の様子を時枝たちに話して聞かせていた。
 サタジットが、期末試験と慈善市の差し支えにならない日取りで、時枝を「十二階」の氷像展に連れて行くと約束したことは、倫太郎や和豪も聞き知っている。十二階と聞いて倫太郎も和豪も眉をひそめたが、すでに行く気満々になっている時枝を止めるのは、もはや不可能に近かった。
「僕はあまり気が進みません。お嬢さんのことです、行くとなれば松浦さんにも声をかけるでしょう。聖園女学院の生徒さんたちが、あのあたりに遊びに行くというのはどうかと思うんですよ」
「なンだったら、俺がついてってやってもいいけどな」
「うーん……この氷像展は、十二階で開催されるんですよね。別におかしなものがあるとは思いませんが、いかんせん、やはり場所が。そもそも、男爵夫人がお許しになるでしょうか」
 気になる会場は十階展望室。
 階下にある「十二階演芸場」で開催される軽演劇と提携した、要するに出し物の客寄せを兼ねた展示で、観賞券の半券を提示すれば展望室まで無料で行けるのだという。

 

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