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歴史・時代

東京探偵小町 番外編 〜絹の靴下〜 <前>

   

「あたし、みどりさんのお母さまに、なんて言ってお詫びをしたらいいのかしらん。だって、まさかこんなことになるだなんて……みどりさんを怖い目に遭わせるつもりなんて、少しもなかったのに」
「何言ってやがンでェ。悪ィのは大将じゃねェだろうが」

小説版『東京探偵小町』番外編
―永原時枝&松浦みどり―

Illustration:Dite

 

 重い眠りから目覚めた時枝が最初に目にしたのは、見知らぬ天井だった。ぼんやりしていたのもつかのま、慌てて体を起こし、すぐ隣の寝台で眠るみどりに気づく。穏やかとは言えないまでも、静かに眠るみどりの横顔に、時枝はとりあえず安堵の息をついた。
「みどりさん……良かった、無事だった」
 寝顔を見る限り、幸い、怪我などはしていないらしい。
 時枝自身にも体に際立った異常や痛みなどはなく、強いて言えば多少の熱っぽさを感じる程度だった。
「そう言えば、ここって」
 室内を見回していた時枝は、やがて「見知らぬ場所」に見覚えがあることに気付いた。
 白い壁に白い天井、やや日に焼けたクリイム色のカーテン、かすかに漂う消毒液の匂い。寝台のすぐ横には水差しの載った小机と、それぞれの羽織や袴、風呂敷包みなどの置かれた簡素な椅子がある。これと似たような光景を見かけたのは、たしか秋の頃だったと思い返す時枝の脳裏に、ふと蒼馬の顔が思い浮かんだ。
「やっぱり、そうだわ。ここ、蒼馬くんが入院していた、帝大附属医院の病室だわ」
 薄いカーテンの向こうの明るさや、どこかからかすかに聞こえてくる人の話し声から、室内に時計はないものの、もう「朝」という時間帯は過ぎてしまっていることを知る。時枝はわずかに熱のある額に手をあて、左隣の寝台に納まっているみどりの寝顔を見守りながら、昨日の記憶をたどった。
 川添に請われて市谷を再訪し、みどりと共に彼の妹が眠るという墓に向かったところまでは覚えている。だが、川添が時枝たちを連れて行ったのは普通の墓地ではなく、川添商店の氷室がある深い雑木林のなかだった。
 暗い林の奥に導かれ、みどりと共に言いようのない薄気味悪さを覚えながらも、時枝は「とにかく墓参だけは」と心に決め、雑木林に踏み入った。だが、記憶はそこで完全に途切れ、あとは何も思い出せなかった。
「あたしはともかく、もし、みどりさんがあのまま寒いなかに置かれていたら…………」
 小さくつぶやいて、時枝はきゅっとくちびるを噛み締めた。
 風邪知らずの丈夫な自分なら一晩くらい外にいてもなんとか持ちこたえられたかもしれないが、病み上がりのみどりが真冬の戸外に何時間も放置されていたら、命の危険にさらされたに違いない。時枝はみどりを伴って行った自分の浅慮を悔やみ、それと同時に、自分たちを助けてくれた「誰か」に感謝を捧げた。
「とにかく、倫ちゃんたちに連絡しなくちゃ。ううん、その前に、みどりさんのおうちに」
 いつになっても帰らぬ自分たちを、倫太郎と和豪、そして松浦家の人々が、どれほど心配していることだろう。「市谷の川添商店に」と行き先は告げてあったものの、昨日の川添商店には、自分たちをこんな目に遭わせた川添本人しかいなかったのだ。
 しかも、川添に連れて行かれた雑木林は、店から少々距離がある。そこまで考えて、時枝は、自分たちを助けてくれたのは和豪だろうかと、ふと和豪の顔を思い浮かべた。たとえ川添から「あの二人はもう帰りましたよ」と言われたとしても、共に氷室まで行った和豪なら、あるいは何かに気づいて、倫太郎と共に雑木林のほうまで探しに来てくれたかもしれない。
 実際の様子は倫太郎たちに聞いてみなければわからないが、助けてくれたのが大好きな彼らであったら良いと思うのは、身内ゆえの気安さからだろうか。二人にまた心配をかけてしまったと肩を落とし、けれど今はそんなことを気にしている場合ではないと、時枝は隣で眠るみどりを気遣いながら、そっと寝台から抜け出した。
「とにかく、まずはみどりさんのおうちに連絡しなくちゃ」
 簡単に襟元を直し、できるだけ音を立てないよう、静かに病室の扉を開ける。そのときだった。
「お嬢さん!」
「大将!」
 扉の曇り硝子に人影が映ったのを見た倫太郎と和豪、サタジットが、看護婦が用意してくれた椅子から弾かれたように立ち上がり、時枝のもとに駆け寄った。

 

-歴史・時代

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