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歴史・時代

あいさ、金太郎!【前編】

   

 今宵、燦々たる月の夜に、捧ぐは古き物語。
 赤い前掛けをした黒髪はおかっぱの、有名たる彼のお話に御座います。
 古葉が描いた、彼の物語。
 皆が知る、彼とは少し質の違う、金の文字を携えた彼の話。
 前編。どうぞご堪能くださいませ。

 

 昔、むかし。
 あしがら山の山奥に、金太郎という名の男の子がおりました。
 日に焼けた肌は褐色の、子供にしては大柄で、大人にしてはまだまだ未熟な容貌でありました。黒髪はおかっぱの、何より逞しい青年でありました。
 筋骨隆々な体躯は小熊のように猛々しくあり、彼が常浮かばせる面持ちは、朗らかな笑顔でありました。彼の笑みに、幸せが満ちておりました。
 その身に掛けた赤い前掛けには「金」の文字がありました。
 今宵のお話は、そんな彼の一物語。

 人がまだ、獣との仲を慈しむ時代。
 鬼が蔓延り天狗が欠伸する、そんな時代のお話をどうぞ、ご堪能下さいませ。

○○○

 激震。
 地響きと共に木々が揺れた。
 力と力が衝突する。褐色と黒色が激しくぶつかり合い飛沫を散らす。
 轟音。
 山の中を一陣の風が吹き抜けていく。
 衝突と共に鈍い音が周囲に響き、小石が跳ねる。砂が舞う。片方は獣、闇色の黒熊であった。身の丈は小岩程に大きく、両腕の先に備えた爪は、短刀のように鋭く尖っていた。
 彼こそはあしがら山の大獣、西地区の主たる大黒熊である。
「やれぃ!」
「負けるなぁ!」
 周囲から野次が飛び交う。溢れんばかりの声援を背に、黒熊の腕に力が篭る。泥にまみれた肉球が唸り、爪は外側を向いていた。巨大な熊は二本足で地を蹴り、体躯をしならせる。黒毛に覆われた腕が、相手の体躯を抑え込んでいた。
 しかし黒熊の腕が、最後のところで閉じられない。
 ぎりぎりと、黒熊の腕中にある相手が抗いを見せていた。
「往生際が悪い」
 黒熊が呟く。腕が軋み、熊の口元が笑む。木々のない広場の中、体躯に見合わぬ瞑らな瞳が、腕の中にあるそれの後頭部を覗き込む。
 黒髪の彼の頭を覗き込む。
「意識が飛びそうだぜい」
 熊の身の内から、否、腕の中に収まる彼が呟いた。肺から空気が零れ、熊の腕が内側に絞まる。彼が小さく、身じろぎを見せる。
 周囲が見る限り、黒熊の勝利は揺るがなかった。
 しかし彼には余裕があった。あるいは彼から零れた嘲りの色に、何より周囲が騒ぎ出す。優勢たる黒熊の眉間に、苛立ち染みたシワが寄る。
「そのまま飛べぃっ!」
「っぐぅ」
 黒熊が咆哮し、人の身が熊の両腕の狭間で呻き声を上げた。周囲の観客が戦き、固唾を飲んだ。黒熊の腕を押し止めていた彼の腕が、ふいに消えた。
「むぅ?!」
 黒熊が呻いた。次の瞬間、まるで滑るように肌色の腕が熊の胴に廻される。黒の上に現れた肌色に、周囲が歓喜の声が上がる。あるいは悲鳴を上げる。人の腕が、肘が、凭れかかる熊の身を押し戻していく。
「往生際が悪いぜ」
 黒熊が吐き捨て、足の爪が地を抉る。熊の足踏みに地面が揺れる。轟音。熊の腕が押しこむなら今であった。
 しかしそんな熊の豪力を、人の腕が阻害していく。
「本気を出せねば負けるぜ、金」
「出してるぜい」
 熊の呻きに、彼は答えた。
 人の身が僅かに屈む。力負けしたと、皆が思った。何せ彼は、ただの人であった。赤い前掛けは山の緑に浮いていた。周囲を取り囲む、狐、猿、狼、兎、小熊、狸と数多の動物達の目から見て、彼の負けは確実だった。
 だからはらはらと、どきどきとした気持ちで見守っていた。勝ちを望み、見守っていた。
 黒熊の腕が、閉じた。
「金ッ!」
「金ちゃんっ!」
 歓声が悲鳴に変わる。しかし彼は、居た。熊の身の下側に腕を廻し、勝利の笑みでそこに在った。腕が熊の横にそえられる。
 彼の三角筋に、上腕二頭筋に、三頭筋に力が篭る。大胸筋に腹直筋に意志が篭る。
「ぐごおっ!?」
 彼の押し返しにくぐもった声が鳴る。黒熊の体躯が仰け反り、隠れていた前掛けが徐々に現れる。人の身が、黒熊を押し返していく。前屈みだった熊の身が、徐々に後ろに下がっていく。巻き返しに、空気が凍る。
「っがっ、ぐ」
 周囲が、押し黙る。
 黒熊が負けじと腕に力を込める。しかし体勢がままならずに勢い余る。外に向いた爪が、彼の身に向いた。人の身に、鋭い爪が刺さり掛ける。周囲が、叫ぶ。
「金太郎ッ!」
 誰かの叫び。ふいに。
 熊の腕から、微かに、力が抜けた。その途端、黒熊のバランスが大仰に崩れた。
 ふわり。
 刹那、人の腕が引かれ、あるいは押された。
 地響き。転倒による衝撃が、山の地面を大きく揺らす。
 黒熊の身が、地響きと共に地の上を滑る。
「ぐぉっ」
 転がる黒熊が呻き、鈍い音を立て砂利を散らした。あしがら山の黒熊が、文字通り転がり倒れ伏す。
 それを一部始終見つめ続けていた兎が、飛び跳ね、高らかに手を挙げた。
「勝負ありぃい!」
 行司にして勝負見受け人となっていた兎が、高らかに宣言する。
 黒熊の身が反転し横転し反転する。対して彼は、それを成した事を誇るでもなく、歓喜するでもなく、静かに手を払い、立っていた。
「勝者ッ、金太郎ッ!」
 不安定な円の中で彼は、あしがら山の金太郎は居た。
 誰よりも優しい眼差しを携えた金太郎が、そこに在った。

○○○

 

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