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歴史・時代

東京探偵小町 第十六話「母の手紙」 <4>

   

「そこでだ。お時ちゃん」
「はい」
「三月になって女学校が休みに入ったら、いっぺん上海に戻って、母御たちと話をしてきたらどうだね」

小説版『東京探偵小町
第五部 ―従僕編―

Illustration:Dite

 

 道源寺の言っていた通り、そして時枝が数日前に倫太郎たちに告げた通り、梅心は時枝の帰国を望んでいた。熱望、切望と言っても良いだろう。それは、上海から道源寺のもとに届いた手紙を読み上げる倫太郎の心にも、痛いほど強く響いてきた。
朱門の遺した事務所はそのままで構わないから、できればこの春三月、女学校の四年級を終えたところで一度上海に戻ってほしい。そうして家族揃って新天地となる米国に移り、せめて多門や雪枝がもう少し大きくなるまでは一緒に暮らして、それでも探偵を目指す気持ちがあったら、改めて日本に帰国してはどうか――――。
「米国ですか!」
「まァ、おっかさんがそう言い出すのも無理はねェやな」
「そうか、考えてみれば米国はジャズの本場なんですよね。上海一の歌い手である時枝さんのお母上なら、米国でも必ずご活躍なさるでしょうし……でも、それにしても米国ですか…………」
 言外に「遠いですね」という思いをにじませて、柏田がうつむきがちな時枝に目をやる。その視線に気づいたのか、時枝は軽く柏田を見上げると、椅子の背もたれに手を置いて再び視線を落とした。
「多門も雪ちゃんもまだ小さいし……母さま、きっとひとりで不安なんだと思うの」
 自分にはこうして、倫太郎や和豪、道源寺などの心強い「大人の味方」がたくさんいる。だが、翻って上海の母はどうかと思うと、時枝は考え込まずにはいられないのだった。
 共に舞台に立つ歌手仲間や楽団員をはじめ、親切にしてくれる人々は娘の時枝以上に大勢いても、頼みとする夫を失った悲しみや心細さは、依然として消えないのではないだろうか。まして、まだ多分に手のかかるおさな子を抱えている身である。海の向こうに暮らす家族を思いながら、時枝は自身の迷いをそのまま言葉にした。
「こんな話……父さま、倫ちゃんたちにしたことがあるかしらん」
「どんな話でェ」
 和豪が尋ねる横で、倫太郎が時枝に席をすすめる。
 時枝は柏田の右隣、道源寺の真正面に座ると、わずかに聞き知っている父母の昔語りを始めた。
「あのね、父さまも母さまも、若い頃はとても寂しい身の上だったらしいの。父さまはあたしを見て『時枝はおばあさま似だな』って言っていたけど、あたし、どっちのおじいちゃまにもおばあちゃまにも会ったことがないのよ。みんな、父さまと母さまが子供の頃に亡くなってしまったみたいで」
 この五人のなかで唯一、時枝の出生の秘密を知っている道源寺が、時枝の複雑な事情を思い出してふと視線を落とす。だが、誰もそれには気づかず、時枝は話を続けた。
「だから母さま、結婚して、神さまから子供を授かって、そうやってひとりずつ家族が増えたのがとっても嬉しかったって……あたしが小さい頃、夜のおやすみの前に、よくそう言っていたわ。だから多門が生まれるちょっと前に上海に行くことになったとき、母さま、『日本と上海とで別れて暮らすなんて』って、最後まで残念がっていたの」
 時枝の言葉に、倫太郎と和豪は、かつての朱門との日々を振り返っていた。朱門を師とも父とも仰ぎながらの、多忙ながらも満ち足りていたあの日々は、その家族に寂しさを強いた上で初めて成り立つものだったのである。その自覚は、無論、朱門に弟子入りした当初から、二青年の胸の内にあった。
 夫を失い、愛娘を手放し、まだ幼い二人の子を抱えての歌手活動は、この一年で梅心の身心に相当の負担を強いたのだろう。時枝が帰国したときは、「時枝を日本の女学校に通わせます。荷物はあとで送ります、手続きを頼みます。事務所は、時枝がそう望みますので、そのままに」と伝えてきた梅心なのである。

 

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