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歴史・時代

東京探偵小町 第十七話「燭火礼拝」 <1>

   

「学課はなかなか優秀なようですけど、彼は学校で『狂犬リヒト』と呼ばれているそうです」
「狂犬? そのようには見えないけれどね」

小説版『東京探偵小町
第五部 ―従僕編―

Illustration:Dite

 

「御主人さま!」
 バタンと大きな音を立てて、精緻な木彫の施された扉が荒々しく開かれる。それと同時に、欧州渡来の調度品で飾られた「東の異人館」の居間に、御祇島の愛描にして忠実なる下僕でもあるニュアージュの声が響いた。
「…………ニュアージュ。お帰り」
「すみません、御主人さま! 僕、決してこんな……御主人さまにご迷惑をおかけするつもりでは」
「わかっているよ」
 長椅子に横たわった御祇島が、帰宅するや脇目も振らずに駆け寄ってきたニュアージュに、まぶたを伏せたまま手を伸ばす。悪戯を詫びる子供をあやすように頭を撫でようとする、その白く冷たい手を取って、ニュアージュは懸命に詫びの言葉を並べた。
「わたしのことなら心配ない。このところ、真面目に狩りに出ていた甲斐があったようだ。それより、おまえは?」
「ほんのかすり傷です」
「顔ではないだろうね?」
 そこで初めて御祇島が目を開け、金色にほど近い、はしばみ色の瞳を彼の使い魔に向けた。一方のニュアージュは、主人の冗談に気付き、泣き笑いのような表情を浮かべてうなずいた。
「僕はあなたさまの使い魔です、そんなヘマなどするものですか。でも」
 そこでいったん言葉を切り、ニュアージュはいつにも増して血の気のない主人の手を額に押し戴いた。
「まさか御主人さまが、こんな無茶をなさるなんて。これは反則というものです」
「反則?」
「そうです。僕は御主人さまの目であり、耳であり、手足となって動く駒であり、身代わりです。御主人さまがそうお望みになれば、いつでもお好きなように交換できる『部品』です。そんな僕の傷を、どうして御主人さまがその身に負ったりなさるのです」
 使い魔は主人のそば近くで働くと同時に、主人の負傷をその身に引き受ける「身代わり」の役も担っている。「主人の命と繋がる」とは、彼らのなかではそういうことだった。
 だが、御祇島はニュアージュからの「あちらの使い魔と鉢合わせになりました」という知らせを受けるや、九段坂をあとにしてからの二人の行動を見越して、「使い魔の負傷を逆に引き取る」という術を自身にかけたのだった。
「言い訳がましいかもしれませんけど、先に仕掛けてきたのはあちらです。あの独逸犬、僕と目が合った瞬間からそのつもりだったのです。相手にしないのを『逃げた』と思われるのも癪でしたから、適当にあしらって、上手く切り抜けようと思っていたのですが……申し訳ありません。痛みますか?」
「いや、おまえはかわすのが上手いからね。大したことはない」
 御祇島は苦痛をこらえてニュアージュに微笑みかけると、軽く寝返りを打って天井に目を向け、小さく息をついた。
「おまえも知っての通り、わたしは夜にも昼にも居場所のない、闇の血を半分しか持たぬ半端者だ。そんな主人を持つ身でも、おまえには、あの隻眼の少年に劣らぬ能力がある。身贔屓を抜きにして、わたしはそう見ている。我が麗しき母上たちがおっしゃる通り、おまえは使い魔としての血統だけでなく、生まれも特別だからね」
「はい」
「けれど……哀しいかな、相手がわたしたち一族の宿敵とその下僕では、何かあってからでは遅いのだよ。わたしの力では、おまえをすぐには本復させられない」
「それは御主人さまも同じではありませんか」
「いや、『繋がっている』とは言え、おまえを癒すより、自分の体を癒すほうが幾らか楽なように思える。かかる労力は、どちらも同じはずなのだけれどね」

 

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