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歴史・時代

東京探偵小町 第十八話「国色天香」 <1>

   

「あンの猫野郎、まァだ露台にいやがったら」
 和豪は二階から持ってきた時枝の物差しで肩を叩きつつ、急いで銀猫退治の続きに戻った。

小説版『東京探偵小町
第五部 ―従僕編―

Illustration:Dite

 

 白亜の露台と時枝の部屋――麗らかな春の日差しが降り注ぐなか、曇りなく磨かれた硝子窓を挟んで、どれくらい対峙していたことだろう。さすがに二対一では分が悪いと踏んだのか、それとも和豪や青藍の剣幕に押されたのか、格子模様の上げ下げ窓の桟に取り付いていた銀猫が、やがてそこから軽やかに飛び降りた。
「ヘッ、逃すもんかィ。あンの野郎、今日こそとっちめてやらァ!」
 すぐさま横の扉を開けて追いかけようとするものの、階下から電話の鳴るけたたましい音が聞こえ、和豪はしぶしぶ手を止めた。
「なんでェ、この 大事なときに」
 和豪はいまいましそうに舌打ちをすると、銀猫をギリッとにらみつけ、自分の肩から飛び立った青藍を残して事務室に急いだ。一般家庭にはまだまだ珍しい電話機があるのは、朱門がここの主だった頃の名残である。探偵事務所としての仕事を縮小した昨今は、この電話が仕事絡みで鳴ることは、かなり珍しくなっていた。
「まっさか、タジ吉ンとこの新聞社じゃねェだろうな」
 新聞記者のサタジット・ワリーは、三日にあけず九段坂探偵事務所を訪れ、時枝たちを相手になんだかんだと話し込んでいくため、業を煮やした上司が「いいかげんに帰ってこい」との電話を寄越すことがある。これもそれではないかと受話器を取ると、掛けてきた相手は意外にも道源寺だった。
『おお、滝本くん。済まんが、内山くんか、お時ちゃんを』
「大将と倫太郎なら、つい今しがた、出掛けたぜ」
『なに、もう出たのかね』
「約束に遅れねェようにって、早めに出たンだろ。大体オッサン、今日は大将の面談に付き合ってやるンじゃねェのかよ」
『それが急に抜けられん用が出来てしまってな、内山くんたちに、ひとこと知らせておこうと思ったんだが……わしの代わりに、逸見くんが行ってくれることになった』
「逸見って、あの元軍医か」
 電話の向こうで、道源寺が「そうだ」と応じる。
 ここで逸見の名が出てきたことに引っかかりを覚えたのだろう、和豪がつっけんどんな口調で理由を尋ねた。時枝が道源寺を伯父のように慕うだけでも少々面白くないのに、逸見までが時枝の後見人のようになってしまっては、生活を共にしている自分たちの立場がないように思えるのだ。
 自分も倫太郎も、たしかにまだ若輩者なのだが、口に糊するだけの稼ぎはあり、時枝の日々の面倒もしっかり見ている。ゆえに周囲から役不足のように扱われると、ひどく癪にさわるのだった。
『逸見くんでは不満かね』
「不満ってンじゃねェけどよ」
『逸見くんだったら、お時ちゃんの後見役として間違いなかろう。あれだけの立派な肩書きを持っとる帝大の若先生だ、後々も何かと心強かろうて』
「オッサンから見りゃアそうかもしれねェけどなァ、大将とあの元軍医なんか、ほんの二、三遍しか会ったことねェんだぜ」
『お時ちゃんとは、たしかにそうかもしれん。だが、亡き永原くんと逸見くんが、割合懇意にしておったらしくてな』
「前の大将が?」
『逸見くんも医者ながらに弟御を病で亡くしたり、シベリアで体を痛めたりと、あれでずいぶん苦労しとる。仕事から何から几帳面な性質ではあるしな、多少とっつきにくいところもあるかもしれんが、亡き永原くんも信用しとったんだろう』

 

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