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歴史・時代

東京探偵小町 第十八話「国色天香」 <4>

   

「このきれいな薄紅色、来年は、母さまたちにじかに見てもらうの。今年は上海に行く支度もあって、ゆっくりお花見ができなかったでしょう? 来年はきっと、みんな揃ってお花見ができるわ」

小説版『東京探偵小町
第五部 ―従僕編―

Illustration:Dite

 

 保護者面談が済んで無事に進級が決まり、時枝の、五年級の新学期は四月八日からということになった。正式には翌月曜日が始業式と入学式なのだが、上級生に当たる四年級と五年級の生徒は一日前から登校し、入学式の準備などを手伝うことになっている。時枝はそれに間に合うよう、三月末日に出国し、四月六日に帰国することになっていた。
「えっと、着替えはこれだけあれば十分よね。あとは何が要るかしらん……そうだわ、洗面道具を忘れていたわ!」
 荷造りのために時枝が動くたびに、青藍がいちいちあとをついてまわる。上海への出発がいよいよ明後日に迫り、里帰りの支度も大詰めを迎え、時枝の自室は少々大変なことになっていた。
「櫛は……そうだわ、ちょうどいいのがあるんだったわ」
 時枝は机の前に急ぐと、引き出しを開けて水牛の角から作られた解き櫛を取り出した。
 先日、和豪から「青藍が裏庭で見つけた」と手渡されたのだが、この飴茶色の解き櫛は、間違いなく時枝が上海から持ってきた愛用の品だった。この櫛を部屋の外に、まして庭に持って行った覚えはないのだが、鼈甲に似た微妙な風合いも、持ち手に施された胡蝶の螺鈿も、同じものがそうそうあるはずもない。みどりや級友たちが持っているのは大抵が黄楊櫛で、水牛の角を使ったものはかなり珍しかった。
「セイラン」
 時枝が声を掛けると、皮の旅行鞄にとまっていた青藍が、すぐに時枝の肩先に移動する。時枝は手に持った解き櫛を青藍に見せると、「これはおもちゃじゃないのよ」と青藍に教えた。
「こうやってね、髪を梳かすのに使うの。上海の雪ちゃんとお揃いなのよ。あたしは蝶々で、雪ちゃんはここに薔薇の模様が入っているの。遊びに使って歯が欠けたりしたら、あたし、困っちゃうわ」
 時枝が毎日のように使っているのを知っているからこそ、盗みに入ったニュアージュから必死の思いで取り返して来たのだが、それを声高に訴えるような青藍ではない。まるで微笑のみで応えるかのように、時枝の頬をくちばしで軽くつついた。
「いい子ね、セイラン」
 時枝も青藍の頬に指先をあて、解き櫛を小さな巾着にしまう。
 そこに誰かの足音が近づき、部屋の扉を軽く叩く音が続いた。
「お嬢さん、もうじき、松浦さんとタジさんがいらっしゃいますよ」
「あら、もうそんな時間? すぐ下に降りるわ」
 今日は昼過ぎに、みどりとサタジットが訪ねてくることになっていた。サタジットが新聞社から新しいカメラを支給されたらしいのだが、時枝に是非とも被写体第一号になってほしいのだという。時枝の里帰りを知ってからは、上海への良い土産になるよう、とびきりの写真を取るからと張り切っていた。
 時枝は荷作りを一段落させて姿身の前に立つと、登校時と変わらない袴姿の自分を確かめて、ふと眉を寄せた。
「お嬢さん?」
 まだ二階の廊下にいたらしい倫太郎が、なかなか部屋から出てこない時枝に声をかける。時枝は急いで扉を開けると、倫太郎に普段着をまとった自分を見せた。
「倫ちゃん、せっかくタジさんが母さまたちへのお土産にって言ってくれたのに……こんな普段着で撮ってもらっていいのかしらん」
「普段着だからいいんですよ」
 優しく微笑む倫太郎の肩に、青藍が飛び移る。
 時枝に、登校時の袴姿で撮ってもらうようにと提案したのは倫太郎である。去年の春、時枝が帰国したばかりの頃にも袴姿の写真を上海に送っているのだが、それから一年たった今、時枝がますます日本の生活に馴染んだところを見てもらい、梅心たちに少しでも安心してもらおうという狙いがあった。

 

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