幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

歴史・時代

東京探偵小町 第十九話「夜半の嵐」 <2>

   

「明日の出航は、やっぱり無理ね」
「まだわかりませんわ。明日の朝には、嘘のように晴れ渡っているかもしれませんもの」

小説版『東京探偵小町
第六部 ―横濱編―

Illustration:Dite

 

 海を越えて、異国へ渡る。
 それは、日本が異国と接するようになって半世紀を数えた今も、今生の別れを覚悟しなくてはならないことだった。わずか一昼夜の長崎・上海間など、「下駄履きで上海へ」という言葉があるくらいの近しさではあったが、それでもいったん海を越えてしまうと、そう簡単に行き来できる距離ではなくなってしまう。
 現に今も、こうして悪天候に出立を阻まれているのだ。
 今回の時枝たちは、まずは横濱に前泊して三月末日の昼に出る国内航路で長崎へ向かい、そこから船会社を変えての乗り継ぎで上海へ行くという、最短旅程を考えていた。昨春の、時枝が帰国したときよりもだいぶ割高の船賃になるのだが、時枝も道源寺も、そして松浦母娘も、それぞれに学校なり、仕事なりがある。旅費よりも、時間的な都合を優先した結果だった。
「だめね……雨も風も、ちっとも止みそうにないわ」
「時枝さま…………」
 時枝は肩を落とし、もう数え切れないほどのため息をついた。
 幼な子のように母を恋しがる歳ではないにせよ、上海に暮らす母たちと海を隔てて、はや一年。久方ぶりの再会がかなうとなれば、船出の日を指折り数えて待つのは、母を想う子として、また弟妹を愛する姉として当然のことだろう。
 道源寺を後見役に、「この先のことを相談し、父の死の真相を知らせる」という大仕事はさておき、浮き立つ心を抑えて勉学に励み、今日までの支度を整えてきた時枝にとって、この悪天候は思いもしない痛手だった。時枝と共に上海に旅立つ日を指折り数えて待ち、母から二人お揃いのセーラー服をあつらえてもらったみどりにとっても、無論それは同じことだった。
「明日の出航は、きっと無理ね。諦めて、母さまに電報を打とうかしらん」
「まだわかりませんわ。明日の朝には、嘘のように晴れ渡っているかもしれませんもの」
「そうね。みどりさんが、こんなにかわいい照る照る坊主を作ってくれたんだものね」
 横濱港を臨む、閑静な西洋式ホテルの一室。
 重いカーテンの掛かった窓辺に、寄り添うにして立つ二少女は、もう半時近くも、そうやって窓の外を眺めていた。ほんの少しでも雨脚が弱まらないか、強風が治まらないかと様子をうかがうのだが、嵐は今もなお、鎮まる気配を見せなかった。
「時枝さま、こんな時間ですけれど、わたくし、給仕さんにお紅茶をお願いして参りますわ。紫月さまをお呼びして、お茶にしましょう」
 みどりは、せめて時枝を元気づけようと、時枝に椅子をすすめた。親友の心遣いを受けた時枝は、強いて微笑を浮かべてうなずくと、洋灯のあかりに照らし出された、客室の掛け時計に目をやった。
 単なる見送りのはずが、急な大嵐に見舞われてそのまま居続けになってしまった倫太郎や和豪、柏田、サタジット、リヒト、サクラ書房の金子は、道源寺と共に、港や防波堤付近の見回りを手伝いに行っている。一同が出掛けてからもう二時間近くになるが、戻ってくる様子はいまだになかった。
「もう九時なのね……みどりさん、良かったら、一階の喫茶室に行かない? みどりさんのお母さま、もうお休みしているんだもの、お邪魔になったらいけないわ。まだ開いているといいんだけど」
「そうですわね。では、給仕さんにお尋ねしてみますわ」
「じゃあ、あたしは蒼馬くんに声をかけてみるわね。それと……あのね、みどりさん」
「はい?」

 

-歴史・時代

東京探偵小町 第十九話「夜半の嵐」<全4話> 第1話第2話第3話第4話

コメントを残す

おすすめ作品