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歴史・時代

東京探偵小町 第二十一話「映る面影」 <1>

   

「永原、これを。二月に招かれた礼に。餞別の代わりに」
「お礼だなんて……春節の新年会は、リヒトくんが来てくれただけでも嬉しかったのに。でも、ありがとう、リヒトくん」

小説版『東京探偵小町
第六部 ―横濱編―

Illustration:Dite

 

「倫ちゃん!」
「ああ、お嬢さん。早いですね、おはようございます」
「おはよう、リヒトくんの具合はどう?」
 早朝五時半。
 みどりと共に寝台にもぐり込んだものの、翌日の雲行きを案じていた時枝の眠りは浅く、目覚めは夜明けと共にやってきた。傍らで眠るみどりを起こさないように耳を澄ませば、風の音はやや落ち着いたものの、いまだに強い雨粒が窓硝子を叩いている。
(結局、今日も雨ね…………)
 船会社からの正式な発表はまだないものの、今回の上海行きは難しいと見て、まず間違いないだろう。予定通りに横濱を出立できなければ、長崎での乗り換えも時間的に不可能になる。思い通りにはいかなかった現実に肩を落としながらも、時枝はみどりに約束した通り、努めて明るい気持ちで着替えを済ませた。
 そうして、外の様子をもっと良く確かめてみようと部屋を出て、二階の待ち合いに向かったときだった。時枝は、ようやく眠りについた青藍を懐に、自分たちの客室に戻ろうとしていた和豪と行き会い、リヒトの体調不良を知ったのだった。
「さっき、わごちゃんから聞いたの。びっくりしたわ」
「幸い、熱はだいぶ下がったようです。四時頃でしたか、いったん目を覚ましたときに薬を飲ませましたから、このまましばらく安静にしていれば大丈夫だと思います。今は良く眠っていますよ」
「そう、良かった」
 心からの安堵と共につぶやき、時枝は、昨日のリヒトの様子を改めて思い浮かべた。
 昨日はもとから具合が悪かったのを押して、逸見の使いをしてくれたのだろうか。それとも、嵐のなかの見回りでずぶ濡れになってしまったのが、体に障ったのだろうか。その両方なのかもしれないと眉をひそめつつ、時枝はリヒトの見舞いを申し出た。
「あ、でも、柏田さんやタジさんに悪いかしらん。二人とも、まだお休み中なんでしょう?」
「いえ、おふたり揃って、僕らの代わりに港の様子を見に行って下さいました。今朝もまだこの天気です、やはり、予定通りの出航というわけには行かないかもしれませんが……ついでに、駅と船会社にも寄って来て下さるそうです」
「そう、じゃあ、あとで良く御礼を言わなくっちゃ。でも、ね、倫ちゃん、あたしは平気よ。きっと次の機会があるもの」
 心配そうに自分を見つめてくる倫太郎に、時枝は笑顔で応えてみせた。上海行きに未練がないと言えば嘘になるが、みどりの励ましを得て、気持ちはだいぶ切り替わっている。自身のことよりも、今はリヒトの体調のほうが気がかりだった。
「お楽しみは、この次に取っておくわ」
「そうですね、次は夏休みにでも」
「うん。あたし、道源寺のおじさまが起きていらしたら、母さまに電報を打ってくるわ。多門や雪ちゃんへのお土産は、ここで荷造りをして送ってあげてもいい? お手紙を添えて」
「もちろんです」
 倫太郎は優しい笑顔でうなずくと、受付から再び借り出してきた薬箱を手に、時枝に二〇七号室の扉を示した。
「では、お嬢さんは、しばらくリヒトくんのそばについていてあげて下さい。僕、厨房に何か消化の良いものを頼んできますね」
「わかったわ」
「それと、さっき和豪くんと相談したんですが……念のため、紫月くんにはお見舞いを遠慮してもらいましょう。もし、ヒリトくんが風邪を引いていて、それがうつったりしたらいけませんから」

 

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