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見知らぬ聖夜

   

 雪の降る路上から彼は体を起こした。ずいぶんと長い間ここに横たわっていたらしい。僕は誰だろう。どうしてここにいるんだろう。
 声を掛けてきた親切なカップルに連れられて、彼はにぎわうパブへ向かう。そこで目にした現実に、彼は……。

 イブの夜に贈るファンタジー。読み切りです。

※作品にコメントいただく際には、ネタバレにご配慮ください。

 

 目を覚ますと、彼は路上に転がっていました。
 肩と腰の下に硬い感触があります。体を起こすと、ずいぶんと筋肉が強ばっているのが分かりました。
 どうやらかなり長い間、そこに横たわっていたようでした。

 なんとか上体を起こして肩と首を回していると、空からちらほらと白いものが下りてきました。
 見上げると、暗い夜空からふわふわの雪が舞い降りています。幻想的で美しい光景でした。

 突然ぶるっと寒気を覚え、彼は自分の着ている服を見下ろしました。
 少し汚れているけどそれなりに温かそうなコート、首にはマフラー。一応防寒対策はしているようです。
 少しほっとして辺りを見回しました。

 どうやら、どこかの街の路地裏のようでした。建物の向こうに賑やかなネオンが見えています。
 通り過ぎる人たちは、地べたに座り込んでいる彼を、胡散臭げに見ては過ぎていきます。

 その様子や周りの雰囲気から、どうやらここがアメリカ国内であることは間違いなさそうでした。

 僕はいったい、なんでこんなところに……?
 
 前後の記憶を思い出そうとして、彼はもっと重要なことに気付きました。

 僕は誰なんだ? 思い出せない。名前も、過去も。

 すぐ横の建物のガラスに、自分の姿が映っていました。
 少し線が細そうな白人でメガネを掛けています。歳は若くはないがおじさんでもないというところでしょうか。
 
 とにかく、このままだと雪に降り込められて凍死してしまう。移動しなければ。
 でも、どこへ? まったくあてはなく、彼は途方にくれました。

 そのとき、向こうからカップルが歩いてきたました。
 彼を見とがめた男のほうが、声を掛けてきます。
「おいあんた、なんでそんなところに座ってるんだ? 風邪ひいちまうぜ」

 彼は額に手を当てて首を振りました。
「覚えてないんだ……なにも」
「おいおい、記憶喪失ってやつかよ。大丈夫か?」

 男は心配そうでした。熊のように体が大きく、髪も髭もごわごわで獰猛な印象ですが、優しい男のようです。

「大丈夫、問題ない」
 言いながら立ち上がった彼はしかし、ふっと眩暈を覚えてふらつきました。
 男が慌てて駆け寄ります。

「大丈夫じゃねぇじゃねぇか。あんた、家に帰れるのか? 金はあるのかよ」

 どこに帰ったらいいのか分からないんだと思いつつ、彼はポケットを探りました。
 何もありません。財布も、鍵も。

 それに気付いた大男が言いました。
「誰かに盗まれちまったみたいだな。分かった、ついてきな。一杯奢ってやるからよ。後のことはそれからだ」

 隣にいる女性が大男の袖を引きました。
「ねぇ、やめなよ。関わりあいにならないほうがいいよ」
「なぁに、いつもならこんなお節介なんかしねぇよ。今日はほら、特別な日じゃねぇか」

「特別な日?」
 聞き返した彼に、大男は呆れたように首を振りました。
「おいおい、まさかそれも忘れちまったってんじゃねぇだろうな? あれが聞こえねぇのかい?」
 太い指が夜空をさします。

 軽やかな音楽が、どこからか聞こえてきました。
 そのメロディは彼にも聴き覚えがありました。
 ジングルベルです。

「そうだよ、今日はクリスマスイブ、聖なる夜じゃねぇか。皆が平和になる日だよ。さ、一緒にこいや」

 誘われるまま、彼は親切なカップルの後について、路地裏からにぎやかな通りへ出たのでした。

 

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