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妖食フルコース <バゲット>

   

「あの……あちらにいらっしゃるお嬢さま、お怪我を?」
「ええ、去年の春にね、顔に硫酸をかけられてしまったのよ」
「硫酸?!」

妖食フルコース
 ~第5章:バゲット~

Illustration:まめゆか

 

◆バゲット◆
《バタール/ノワ・レザン》
 ~2種類の自家製パン~

 幼いもののそばにいると、
 焼き立てのパンの匂いがする。(片山敏彦)

 おばさまが地下のカーヴから抜き出してきたのは、かなり上物のブルゴーニュだった。さっきまでの白も特級品だったから、お料理の値段と合わせると、決して安くは済まないはず。
 つまりはそれほど、今夜の宮田さまたちの食事会は「特別」なのだ。だからおばさまも、惜しみなく高級ワインの栓を抜くのだろう。普段なら、こんなふうに値の張るワインばかりをすすめたりはしない。ワインとお料理は、味と料金の両方でバランスが取れていてこそ、互いを引き立て合うのだから。
「あと、どれくらいかしら」
「そうだな、盛りつけまでやって、15分ってとこだな」
 真剣な表情でオーブンのなかをうかがいながら、おじさまが言う。おばさまはこくりとうなずいて、わたしにパンの準備をするように言った。わたしは製菓用のオーブンに小さなサブレの生地を入れてから、棚に休ませてあったバゲットを下ろした。
 ダイニングにお出しするパンも、もちろん自家製だった。
 材料はフランス産の小麦に有機栽培のカレンズとくるみ、天然水と天然塩、おじさまが手ずから培養している自家製酵母などなど。卵やバターも選りすぐりで、おじさまが丹精こめて焼き上げたものだった。
(おなか、空いてきちゃった)
 うっすらと粉をふいた表面、ちょっぴりハードめのパリパリした皮。大きな気泡が入った半空洞の中身は滑らかで甘く、もちもちと柔らかい。本場の上等な粉を何度も振るっているから、おじさまのパンは軽くてきめ細やかで、噛めば噛むほど味が出る。このままでも十分おいしいのだから、特製のハーブ・バターを添えればなおのこと、もちろん自慢のお料理やチーズ、各国のワインとの相性もばっちりだった。
 お客さまに供するパンは、お料理の種類や量に関わらず、いつも2種類だった。おじさまのパンのレパートリーは10種類くらいで、プレーンなバゲットからクロワッサン、ライ麦パン、ナッツやカレンズ、ゴマを混ぜ込んだものまでとバラエティに富んでいる。食材の入り具合によって、焼き分けているらしい。
 ちなみに今夜は、カレンズ、サルタナ、グリーンの3種類のレーズンと粗みじんにしたクルミをたっぷり混ぜ込んだ「ノワ・レザン」と、食事パンの代表格でもある「バタール」だった。自家製レーズン酵母を使ったおじさまのノワ・レザンはとってもおいしくて、お客さまにも大好評。あまりのおいしさに、帰り際、自宅用にひとつ欲しいとおっしゃるかたも少なくない。だから多めに焼いておいてもすぐになくなってしまい、まかないに回ってくる機会に乏しいのが恨めしかった。
「繭、ハラ減ったんだろ。レザンは人数分しかねェけど、バタールだったらがっつり味見していいぞ」
「わあ、ありがとうございます!」
 温めたバタールをスライスしていると、おじさまのこんな声が飛んできた。おなかが空いていたのは本当だし、味見は何よりの勉強と、わたしはすぐにひと切れつまんだ。

 

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