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SF・ファンタジー・ホラー

妖酒そして紫煙 <シノン>

   

「あなた、繭ちゃんが」
「まーた夜泣きか。ったく、どうにかならんかな」

妖酒そして紫煙 ~シノン~

Illustration:まめゆか

 

《シノン/赤》
 ロワール産、ルビー色、軽い飲み口の良さ、すみれの香り。
 カベルネ・フランを中心に、カベルネ・ソーヴィニョンほか。

 女のカラダってのは面白い。
 抱く前と抱いたあとでは、手ざわりが違う。
 特にオレの女は――オレの女房になった女は、そうだと思う。
 抱く前の肌はすべすべと気持ち良く滑らかで、抱いたあとは肌の奥底からにじんでくる微かな汗が全身を包んで、しっとりと落ち着く。オレの女は、それがハッキリとわかる。そこがいい。
「すみれ」
 オレの女は、ほかの女とは違う。
 そのへんの女とは、たぶん、何もが違っている。
 姉妹ぶってべったりと仲のいい、オレが心中ひそかに「サヨリ女」と呼んでいる、あの化粧の濃い派手な美容師とも、恐らくは根本的なところで。
「…………なあ、いいだろ?」
「困ります。いくら明日、お休み……あ」
「すみれ」
「あなた……わたし、もう」
 ちょいと骨の折れる大仕事のあとは、自分でもどうかと思うほど昂ぶる。1回や2回では、とても収まりがつかない。それはオレの女も同じはずだった。
「ウソつけ。おまえさんだって、まだ足りてねェんだろ? 今頃、あのサヨリ女だって」
「サヨリ?」
「っと。今のはナシだ」
 慌てて口をつぐんだが、もう遅い。
 オレの女はクスリと笑うと、頬に張り付いた黒髪を払い、どこかけだるそうに腕を上げて、オレの頬にピタリと手をあてた。どこまでも白く細い指の、まるで死人のような冷たさが心地よい。それを取って、今の失言を誤魔化すように口付けてみたが、オレの女には通用しなかった。
「それって、もしかして……百合子さんのこと?」
「言うなよ。オフレコだ」
「ええ、言わないわ。でも、何故サヨリなの? サヨリって、お魚でしょう。細い魚、針の魚って書く」
「ナリが良くて銀色で、なんせ見た目のイイ魚だからな」
「あら、ずいぶんと褒めるのね」
 珍しく、オレの女が拗ねたような顔になる。
 まったくコイツは、幾つになっても可愛くて困る。
 オレは体勢を変えて、オレの女を抱き寄せた。オレの女は容易く腕のなかに納まり、柔らかなふたつの塊がオレのみぞおちのあたりに触れ、それだけでオレの女は深い吐息を漏らした。
「ハハ、なに言ってんだ。サヨリなんか、もう何度も食わしてやったじゃねェか」
「ええ。糸作りと天麩羅と……酢の物もあったかしら」
「で、その腹ってのは?」
 そのひとことで、やっと気がついたのだろう。
 オレの女は苦笑を浮かべたのもつかのま、すぐに眉をひそめて、オレをなじった。
「ひどいひとね。百合子さんが、あなたに何か意地悪をしたことがあって?」
「ねェけどよ。でも、そんな感じだろ、あの美容師の大先生は」
 サヨリはそのスラリとした姿に似合わず腹硬膜が黒いことから、「腹黒」の代名詞にもなっている。「サヨリ女」と言えば、見掛けは良くても底意地の悪い、腹黒女を指すのだ。
 もっとも、あの美容師がオレの前で腹黒だったことは一度もない。むしろ、ウチの店の上客中の上客だった。あんまり澄ました顔してオーダーしやがるもんだから、からかい半分で吹っかけてやっても、ラーメン代でも払うみたいにしてさっとカネを置いていく。業界のカリスマだのなんだのと言われるだけあって稼ぎがいいのか、カネ離れの良さは天下一品だった。

 

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