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SF・ファンタジー・ホラー

妖酒そして紫煙 <ブルグイユ>

   

「なあ、繭」
「ハイ、おじさま」
「繭はオレたちのこと、好きか?」
「ハイ!」

妖酒そして紫煙 ~ブルグイユ~

Illustration:Dite

 

《ブルグイユ/赤》
 ロワール産、シノンの対岸、木苺の香り、グリーンの香り。
 カベルネ・フラン、まろやかさのなかにしっかりした渋み。

 借りを作っちまった。
 前庭をめいっぱい使って3台分だけ作った駐車場に白い高級車が停まり、例の「サヨリ女」がドアを開けた瞬間――オレは何よりも先にそう思った。ほんの半日のことでも、オレたちの繭をこの女に預けるのは業腹な気がしたが、オレは、オレの女が良かれと思って決めたことに異議を唱えるつもりはなかった。
 今までだって、そうだった。
 オレの女の望み、それをかなえてやるのがオレの望みだ。
「あなた、お願い」
「おう」
 月のない夜の、まとわりつくような闇のなか、サヨリ女がオレを見て軽くうなずく。オレはサヨリ女が後部座席のドアを開けるのを待って、その左ハンドルの白いクルマに歩み寄った。
「このまま静かに寝室へ……この子が自分から目を覚ますまで、絶対に起こしちゃダメよ。遅くとも、そうね、明日の夕方までには目を覚ますはずだから」
 見ると、繭が後部座席に置かれた柔らかなクッションに埋もれるようにして眠り込んでいる。体半分ほど車に乗り込み、そっと抱き上げた繭はピクリとも動かず、体温も寝息らしいものもほとんど感じられず、まるで死体のようだった。
「明日の夕方まで爆睡ってわけか。んじゃ、明日も閉めとくかな」
「余裕なのね、角野さん。客単価が良いせいかしら」
「おかげさんでな」
 今日は昼営業だけにして、繭には正午から暇をやった。
 オレの女が、繭をサヨリ女のサロンに行かせたいと言ったからだ。繭がいなくても店は回るが、オレたちの士気がだいぶ落ちる。繭がいない厨房は、言ってみれば塩気のないスープみたいなもので、物足りないどころの話じゃなかった。
 明日の予約もあるにはあったが、蹴ったところでどうということもない。どうしてもうちで食いたきゃ、また予約を入れればいい。オレたちの気が向けば、店のドアは開くのだ。
「百合子さん、どうぞ、少し休んでいらして」
「そうしたいのは山々なんだけど」
 自分のクルマにもたれ掛かっていたサヨリ女は、運転席側のドアから離れてスッと手を伸ばし、繭の青ざめたまぶたにふれ、白い頬にふれ、ひどく色のないくちびるにふれた。
「繭ちゃんがあんまりステキな色白美人さんなものだから、うちの子がヤキモチを焼いちゃって大変なのよ。今頃ベッドで拗ねまくっているでしょうから、今夜はさっさと引き上げて、うちの子の相手をするわ」
「そう。では、また後日。それと、今日の御礼はあとで必ず」
「いいのよ、これくらい気にしないで。わたしだって、いろいろと愉しませてもらっているんだから」
 サヨリ女はなぜかオレのほうを見てクスリと笑うと、気に入りのアクセサリーだと自慢しているクルマに乗り込み、濃い闇のなかへと消えていった。
「これで落ち着きゃいいけどな」
「ええ、もう大丈夫。夜泣きの心配はないと思うわ」
 繭を寝室のベッドに寝かしつけてやり、子供みたいに切り揃えた黒い前髪をなでてやって、オレの女が満足そうに微笑む。こんな風に笑うなら、本当に上首尾なのだろう。オレたちは物音ひとつ立てずにドアを閉め、はす向かいにあるオレたちの寝室に戻り、幾分ほっとした気持ちでベッドの縁に腰掛けた。

 

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妖酒そして紫煙<全2話> 第1話第2話

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