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歴史・時代

東京探偵小町 第二十二話「鳥と月橘」 <2>

   

「あの少年はじきに死ぬ。ああ酷使していては、長くはもつまい」
「それは……しかし、いくらなんでも、その言いかたは」
「言いかた? あれが貴君の病のもとだと思ったのだが」

小説版『東京探偵小町
第七部 ―灯燭編―

Illustration:Dite

 

 校医が引退したため、適任者を推薦してほしい。
 義弟の通う青慧中学校から、そんな依頼が逸見のもとに舞い込んできたのは、新学期が始まってすぐの頃だった。長年、校医を請け負ってきた町医者が、後進に道を譲りたいとして、辞任を申し込んで来たのだという。よって、誰か適当な人物を推薦して欲しいとのことだった。
 校医の選定くらい、学校側で出来ないわけではない。
 現に青慧中学校から第一高等学校へ、そして帝国大学へと進み、医者になった者も少なくないのだ。目星くらい、いくらでもつけられるのだが、逸見を呼んだのは、逸見との繋がりを強くしておきたいという学校側の思惑があった。
 陸軍中将ゆかりの私立中学校としては、元帝国陸軍医であり、今は医学博士として帝大で教鞭を執る逸見が生徒の「父兄」であることが、他校に対する大きな強みになっていた。リヒトが最上級生になったこともあり、今のうちに逸見を顧問的な存在として迎え、学校に箔をつけておきたいという意見が強くなってきたのである。
「あのー、磯部……っと、失礼」
「いや」
 前任者に代わって、恐らくは最初で最後になるであろう救護室の備品点検を行っていた逸見は、気安く救護室に入ってきた男に目をやった。対する美術教師の泉水は、目の前に立つ、黒縁眼鏡を掛けた見知らぬ男に、やや面食らったような顔をしていた。
「驚かせたようだな。わたしは磯部先生の後任だ」
「後任?」
 かつては亡き実弟の輝彦が、今は義弟のリヒトが学ぶ青慧中学校からの頼みを、「逸見晃彦」としては、無下に断るわけにもいかなかった。よって、逸見はその日、ない時間をどうにか工面して青慧中学校を訪れていた。
 実際の後任には、今春帝大を巣立ち、東京市郊外で家業の内科医院を手伝っている者を推してある。逸見はその監督役として、実際の診察は行わないにしても、筆頭校医としての責任を持つことを了承したのだった。
「正確には、後任のひとりだ。週に一度の救護室点検は、わたしの教え子が……今春帝大を出た、大石くんが担当する」
「そうですか。磯部先生も、そんなお歳になりましたかね」
 話が飲み込めないのか、それとも興味がないのか、あまり表情の変わらない泉水を見て、逸見がかすかに眉を動かす。だが、それが泉水に伝わることはなく、逸見は義弟のリヒトがここで学んでいることを告げた。
「逸見……ああ、あの独逸人の!」
「失礼だが、貴君は何科の? わたしの弟も、貴君の教えを受けたと思うのだが」
 寡黙な赤毛の生徒を思い出し、泉水はようやく、目の前の男を注視した。逸見リヒト輝彦は縁あって日本人に引き取られた独逸人の少年であり、その保護者は陸軍出身の医学博士、日本の医学界を牽引する帝大教授であるという話は、泉水も良く聞き知っていた。
「そうでしたか、あなたが帝大の逸見教授でしたか。わたしは美術科の泉水です。リヒト輝彦くんを受け持ったのは二年級まででしたが、真面目に課題に取り組む、良い生徒でありました」
 泉水の、多分に世辞を含んでいるような挨拶に、逸見が苦笑めいたものを浮かべる。わずかに空気がゆるむなか、逸見が泉水に席をすすめた。
「いえ、わたしは」
「良家の子弟が集う名門とは言え、騒ぎたい盛りの少年たちを日々訓導していれば、無論疲れも溜まるだろう。そんな顔色で救護室に来たとあれば、校医として見過ごすわけにも行くまい」
「それはどうも、帝大教授にまで御心配をおかけしまして」
「なるほど。芸術家は権威を嫌う、というわけか」

 

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