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歴史・時代

東京探偵小町 第二十二話「鳥と月橘」 <4>

   

「ボク、仏蘭西に留学するのが夢なんだ。お師匠さんも母さまも、絶対に無理だって言うんだけど……でも、秋の帝展に入選すれば、許してくれるかもしれない」

小説版『東京探偵小町
第七部 ―灯燭編―

Illustration:Dite

 

「二日か三日、それくらいでいいんだ。このあいだ、横濱に泊まったときにたくさん写生したんだけど……もう少し、じっくり本物を見て描きたくて」
「それも御一門の展覧会に?」
 倫太郎の問い掛けに、蒼馬は物思わしげな顔になってふるふると首を振り、元気のない声で「秋の帝展に」と答えた。
「帝展! それはすごいじゃないですか!」
「倫ちゃん、帝展って?」
「日本画壇の最高峰と呼ばれる、国内最大の展覧会ですよ。帝国美術院、つまり『おかみ』主導の展覧会ですね。入選はもちろん、出品できるだけでもすごいことだと聞いています」
「そうなの! さすがは蒼馬くんだわ」
 時枝の称賛を受けて、蒼馬がかすかに頬を赤らめる。
 だが、あまり嬉しそうな顔にはならなかった。
「わたくし、女学校の一年級のときに、先生から見学に連れて行って頂きましたわ。それでは、今年の秋は、紫月さまの絵を上野の美術館で拝見できますのね」
「素敵だわ、あたし、上野の美術館ってまだ行ったことがないの。蒼馬くん、展覧会が始まったら、あたしたちきっと一番に見に行くわね。上海の母さまたちも秋までに来てくれるって言うし、今年の秋は素敵なことだらけだわ」
「違うってば、それにはまず入選しなくちゃ!」
 蒼馬の出品作が展示されるものと思い込み、「みんなで見に行かなくっちゃ」と盛り上がる時枝とみどりに、蒼馬が慌てて訂正を入れる。そのあとで、蒼馬は再び眉を寄せて視線を落とした。
「つまり紫月くんは、帝展の出品作にも、青藍を描いて下さるのですね」
「はい。扇絵を取りにきたお師匠さんが、いい題材だから帝展用の日本画もこれで描くようにって……この扇絵と同じ、青藍と月橘がいいって言うんです。ボクも、青藍なら、上手く描けるような気がするから。でも…………」
「大丈夫よ、蒼馬くんは本当に絵が上手なんだもの。帝都で一番よ。ね、セイラン」
 出品だけでも名誉なことらしいのに、あまり嬉しそうではない蒼馬を励ますかのように、時枝が肩にとまっている青藍に語りかける。青藍は短い囀りで、それに応えた。
「ほらね。セイランも、また蒼馬くんに描いてもらえて嬉しいって」
 詳しい事情はわからないものの、倫太郎の話を聞く限りでは、帝展とは誰でも気軽に出品できるものではないらしい。相応の実力はあってもまだ若いだけに、さしもの蒼馬も重圧を感じてしまうのだろうか。時枝が案じする横で、蒼馬は画帳に描いた青い小鳥を見つめた。
「ボクたち細川一門は、お師匠さんのお許しがないと、官展に出品できないんだ。お師匠さんが審査員をやっているからなんだけど、帝展は一門のなかで毎年四人って決まってて」
「まあ。四人だけですの」
「うん。いつもなら夏までに下絵を見てもらって、それでその年の出品者が決まるんだ。兄弟子さんたちは、みんな帝展を目指してるから、ボクだけこんなに早く決まっちゃったのが、なんだか居心地悪くってさ。泉月さんだって、もう何年も前から」
「泉月さん?」
「青慧中学の美術の先生。ボクの兄弟子だよ」
 時枝の問い掛けに、うつむいてばかりだった蒼馬がようやく顔を上げ、まともに視線を合わせる。時枝はみどりにも椅子をすすめ、一門の人間関係に悩む蒼馬の話を聞く体勢に入った。
「ボク、週に一度だけ泉月さんの助手をやることになったんだけど、泉月さん、ボクのことすごく嫌ってるから。このあいだも、帝展のことで嫌味を言われたし」

 

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