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歴史・時代

東京探偵小町 第二十四話「生命の灯」 <2>

   

「蒼馬くん、ちょっと我慢していてね。柏田さんが、すぐに病院に連れて行ってくれるわ。もう少しよ、もう少しの辛抱よ」

小説版『東京探偵小町
第七部 ―灯燭編―

Illustration:Dite

 

「今度は学校の先生ですか! たいしたものですねぇ」
「美術の先生が、蒼馬くんの兄弟子さんなの。お師匠さまに当たる日本画の細川先生とのお約束があるから、蒼馬くん、忙しい合間を縫って頑張っているみたい」
「なるほど」
 うなずきながら、柏田は慎重に自動車を走らせていた。
 直属の上司である道源寺からの指示を受け、春先から自動車の運転練習していた柏田は、このたびついに運転免許を取得し、今日は時枝たちを驚かせようと、自動車で九段坂探偵事務所を訪れていた。そうして自動車から降りようとしたところで、停車場に向かう時枝を見かけたのである。
 柏田の運転する自動車は、無論、本庁の表玄関に並ぶ、黒いフォードだった。二組ある警視庁強力犯係のなかでも、道源寺麾下の柏田は同僚たちよりだいぶ若いため、時には運転手の役も果たせるよう、早期の免許取得を言いつけられたのだった。
「わあ、やっぱり速いわ。電車より速いみたい!」
 車窓を流れて行く夜景を、助手席から熱心に眺めていた時枝が、はしゃいだような声を出す。少年じみた格好をしているのは、蒼馬の通う青慧中学校が、女人禁制だと聞いたからなのだという。ちょうど去年の今頃――初めて出会ったときと同じような格好の時枝に目をやったのもつかのま、柏田はすぐに視線を前に戻し、操舵輪をしっかりと握り直した。
 柏田が晴れて取得した運転免許は、俗に「フォード専用」とも呼ばれる乙種免許である。甲種のように全車種を扱えるわけではないのだが、T型フォード以外の自動車に乗る機会など、まずないと見て良いだろう。運転が比較的容易なことからT型フォードは人気が高く、帝都を走る自動車の大半が、この黒い箱型の自動車なのだった。
「柏田さん、すごいのね。あたし、自動車に乗ったの、初めてよ」
「あれ、そうなんですか。時枝さんなら、上海あたりで乗り慣れたものだろうと思っていました」
「乗せてもらう機会はあったんだけど、雪ちゃんが……妹が泣いて怖がって、駄目だったの。嬉しいわ、あたし、一度でいいから自動車に乗ってみたかったの。でも」
 時枝は蒼馬のためにと持ってきた膝掛けを腕に、不安そうに眉をひそめて柏田を見た。
「お仕事で使う、大切なものなんでしょう? こんなふうに乗せてもらったりして、あとで道源寺のおじさまに叱られないかしらん」
「いえ、御心配なく。今夜は夜道に慣れるということで、警部からちゃんとお許しをもらっているんです。えっと、青慧中学校は麹町でしたよね」
「蒼馬くん、そう言っていたわ。麹町五と市ヶ谷見附の停車場の、ちょうどあいだくらいだって」
「えーと、それなら…………」
 柏田は頭のなかで東京市中心部の地図をひっくり返すと、九段下から麹町までの往復、九段下から日比谷までの帰途をたどり、こくりとうなずいた。
「大丈夫です。わかりやすい道ですから、免許取りたての自分でも、十分に行けると思います」
「ありがとう、柏田さん。蒼馬くんが、まだ学校にいるかどうかもわからないんだけれど……行き違いになったなら、それでもいいの。お医者さまから蒼馬くんのお薬を預かったら、あたし、急に心配になっちゃって」
「用心に越したことはないと思います。先だっての横濱でも、あの絵描きの坊っちゃん、体調を崩していたでしょう」
 うなずいて、時枝は持参した肩掛けに目をやった。
 なぜかはわからないが、蒼馬がこれを必要としているような気がしてならなかった。
「そういえば、細川画伯と言えば日本画の大御所ですよね。本庁に飾ってある松と鷹の吉祥図は、たしか細川画伯の作品だったような……まだ中学生では何かと大変でしょうけど、立派な後ろ盾があるのは、心強いことだと思います」

 

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