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歴史・時代

東京探偵小町 第二十五話「厳しい罰」 <4>

   

「大将?」
「わごちゃん……あたし、泣いてない。泣いてなんか、ない」

小説版『東京探偵小町
第八部 ―彷徨編―

Illustration:Dite

 

 派手に傷ついた割には威勢の良い和豪と、左腕の傷からの出血が止まり、微熱も引いた時枝は、逸見の許しを得て入院三日後に晴れて退院となった。だが、蒼馬のほうは帝大附属医院に居続けになり、時枝たちの退院をひとり寂しく見送ることになった。
 幸いにして肩の傷は軽かったものの、泉水の件に大きな衝撃を受けたのか、食事らしい食事がほとんど摂れなかったのである。蒼馬は日に日に衰弱の度合いを深め、時枝たちが退院する日には、ついに面会謝絶に近い状態になってしまったのだった。
「蒼馬くん、あたしたち、学校帰りに毎日お見舞いに来るわね」
「いいよ……毎日なんか」
「そんなこと言わないで。ね?」
 蒼馬の退院の目処は、まったく立っていなかった。
 毎年恒例の細川一門の展覧会も、蒼馬は作品のみの参加となり、この決定は蒼馬の師匠にして後見人でもある老画伯を、ひどく落胆させた。細川はこの機会に、孫息子のような自慢の愛弟子を、他門流の画家たちに引き合わせようと考えていたのである。
「長居はしないわ、ちょっと顔を見るだけよ。女学校がお休みの日には、青藍も連れて」
「それはいいな。ぜひ見舞ってやってよ、小町さん」
 病室の引き戸を叩くより先に口を挟んだのは、いつもの白衣に身を包んだ尾崎だった。蒼馬の主治医のひとりであり、帝大附属医院のなかで、蒼馬が最も懐いている相手でもある。尾崎は幼い子供の相手をするかのように蒼馬の額に手のひらを当てると、「朝イチの検温よりはいいかな」と笑ってみせた。
「でも、無理は禁物だよ。若先生は、しばらくは写生も禁止」
「えっ、なんで?」
「今年の入院を、これで最後にするためだよ」
 明るい声音のなかに、尾崎の真剣な気持ちを感じ取って、蒼馬が力なくうなずく。そうして、病室の隅に控えていた倫太郎に、そっと目をやった。
「倫太郎さん……ボク、サクラ書房の、倫太郎さんとの連載だけは続けたいです。ほかの仕事を減らしても」
「僕もですよ、紫月くん。金子さんに、僕のほうから今後のことを良く相談しておきますね」
「お願いします。すみません…………」
 寝台に横になったままの蒼馬が、頭を下げる代わりに会釈をする。そうして、「かえって良かったかも」と小声でつぶやいた。
「気乗りのしない仕事があったんだ……これで、断れる」
「紫月さまは、いつもたくさんすぎるほどのお仕事をなさっていらっしゃるんですもの。この機会に、どうぞゆっくり御養生なさって下さいな」
 みどりの優しい声に、蒼馬がうなずく。
 その脳裏には、挿し絵を引き受けるかどうかをずっと迷っていた、とある西洋童話のあらすじが蘇っていた。死神から「生命の蝋燭」を見せられ、恐れおののく青年の物語である。自分の蝋燭が、今にも燃え尽きそうなほど短いことに驚愕した青年は、死神のマントの裾にすがって、必死に命乞いをするのだ。
 もうすぐそこにまで迫っている、永遠の暗闇。
 それに怯える青年の顔など、どうして喜んで描けるだろう。
 蒼馬は、肩の荷が下りたとでも言うように息をつくと、「休みたい」という意志を告げるべく、まぶたを伏せた。
「よしよし。若先生、寝る子は育つ、いや、寝る子は治るよ。またあとで様子を見に来るから」
 蒼馬が尾崎の声にうなずくと同時に、倫太郎が時枝たちを促して廊下の外に出る。最後に尾崎が病室を後にして引き戸を閉めると、病室からひとの気配がなくなったことを感じ取った蒼馬が、伏せていたまぶたをそっと開いた。
「…………ボク、やっぱり」
 目に映る、色彩のない白い空間。
 それは具合を悪くして意識を失うときの、光が遠ざかっていく瞬間の光景に酷似していて、いつも蒼馬の心を圧迫していた。
「大人に、なれないのかな……………………」
 こらえきれない涙が、まなじりからこぼれ落ちる。
 絵筆を持つことさえ禁じられた蒼馬は、病室でひとり、声を押し殺して泣いた。

 

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