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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

愛の聖域 前編

   

 オフィス街の中のこの店は、平日の日中が忙しい分、土日祝日はかなりのんびりとした時間が流れる。
 接客業にしては珍しく、週末の休みが取りやすいのだが、週末だからといって、特にコレといってすることのない絹代は進んで予定を入れていた。
 少ないお客の中から見知った顔が生まれてくる。
 特に決まった会話をする訳ではないが、親しみを感じるようになるし、営業スマイルにも気持ちがこもる。
 『彼』との出逢いも、そんな中のひとつでしかなかった。
 絹代があの1杯の珈琲を差し出す時までは―――

「おかわり、いかがですか?」

 週末の時間限定で始まった新サービス『アメリカン珈琲のみ、おかわり自由』の業務に勤しむ絹代は、そのおかわり用の珈琲を持って、客席を廻っていた。
 その時間帯だけは、フロアの人も増えるので、絹代は今やっている仕事にだけ集中できる。
 ひとりづつ丁寧に声をかけ、珈琲を注いでいくと、ひとりの青年の席へと辿り付いた。

「おかわり、いかがですか?」

 謙虚に腰低く、微かに青年の顔を覗き込むように伺い尋ねる。

青年は絹代の声はおろか気配にも気づかない様子で、ただ一点をみつめていた。
 テーブルの上に広げられる数々の紙、点滅する携帯電話に一瞬視線を向けるが、それに出ることなく、電源そのものを切る。
 身体から一番遠い場所に置かれていたカップの中の珈琲は、最初に注いだまま冷え冷えとしているのが目にみてもわかる。寛ぎにきたわけではないと、一目瞭然だった。
 だからといって、そのお客だけを無視するという訳にもいかない。
 絹代はその青年にそれ以上声をかけることなく、他を廻り――カウンターの中に戻ると、新しいカップに暖かい珈琲を注ぎ、再びあの青年の元へと向かった。
 相変わらず自分の中の世界に没頭しているらしく、絹代には気づかない。
 絹代も声をかけることなく、さり気なくカップを下げ、持ってきた暖かい珈琲を置いてその場を去っていった。
 その青年は決まって週末の同じ時間に店に来ることを、絹代は自然と覚えていく。
 一口も珈琲を飲むことなく、ただ広げた紙を見つめるだけの時間。頃合をみて替えの珈琲を運ぶ絹代。それが当たり前の行為になりかけた頃、ひとつの転機がやってきた。
 その日、その青年は姿を現すことがなかった。
 親しいわけでもない。顔は知っていても、言葉を交わしたわけではない。それでも気になっていた絹代の集中は、ふとした気の緩みでその青年の事を考えていた。
 陽が沈み、サービスの時間が過ぎ、あとは閉店までの時間をただ待つばかり。滅多にお客も来ない時間に差し掛かり、絹代以外のフロアが引き上げ、残ったのはフロアの絹代とキッチンのバイトだけとなった。
 閉店30分前に支店長ないしフロアリーダーが売上金を取りに来るまでは、バイト同士だけが残る。

 

-ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

愛の聖域<全2話> 第1話第2話

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