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歴史・時代

東京探偵小町 第二十七話「孤独な魂」 <1>

   

「父さま、あたし、どうしたらいいの。あたし、何でも自分の思い通りに行くなんて思ってない。自分が半人前なのも、力不足なのもわかってるわ。わかってる、けど……………………」

小説版『東京探偵小町
第八部 ―彷徨編―

Illustration:Dite

 

「父さま!!」
 水面に映った懐かしい面影に、気づけば時枝は、悲鳴に近い大声を上げていた。
「父さま……父さま…………!」
 水面に映った朱門が、時枝を見つめて優しく微笑む。
 事務所に飾ってある写真とは違う、今にも語りかけてきそうな、温かい笑顔。それがどこか歪んで見えるのは、水面が揺れているからではなかった。こらえたつもりが、やがて時枝の頬をひと粒の涙が伝い落ち、水面に落ちて波紋となって広がった。
「父さま、あたし、どうしたらいいの。あたし、何でも自分の思い通りに行くなんて思ってない。自分が半人前なのも、力不足なのもわかってるわ。わかってる、けど……………………」
 それ以上は言葉にならず、時枝はすがるようにして、水面に映る亡き父を見つめた。
 時枝が生前の朱門に会ったのは、一昨年の暮れが最後である。
 日本を活動拠点とする父の頼みを受けた時枝は、父を恋い、日本に焦がれながらも上海で月日を重ね、歌姫として舞台に生きる母を献身的に支えていた。白梅のように美しく優しい母は、その胸に繊細すぎるほどの心を持ち、長女である時枝を常に頼りとしていたのである。
 朱門が上海を訪ねなければ家族が揃うことはなく、忙しい日々を送る母も幼い弟妹も、誰もが寂しさを募らせていた。そんな家族の心を明るくしていたのは、いつのときも時枝だったのである。
「父さま、あたし、父さまともっと話したかった。もっともっと、いろんなことを教えてほしかった。相談したかった。探偵のお仕事についてだけじゃないわ。女学校のこと、お友達のこと、上海の母さまたちのこと……自分の気持ちに押し潰されそうなとき、くじけそうなときにどうしたらいいのか、教えてほしかった」
 水のなかに手を入れれば、亡き父に触れることさえできそうで、今の時枝は泣き崩れてしまいそうな自分を励ますのに精一杯だった。この水鏡がどんな仕掛けになっているのか、占い師の声はどこから聞こえてくるのか、どうしてこんなに流暢な日本語を操れるのか。その不可思議さを考える余裕もなく、時枝が亡き父の姿に目を凝らしたときだった。
『探偵小町さん』
 水面がふと揺らめき、亡き父の顔が波紋と共にかき消えて、占い師と名乗る異国の美女の姿が映った。
『懐かしいかた、恋しいかたに、お会いできましたか?』
「はい! あたしがそう願ったら、この水面に、亡くなった父さまの顔が映ったんです!」
『永原探偵の。そうでしたか…………』
 異国の美女はふと横を向くと、時枝には皆目わからない、けれど美しい響きの言葉で何事かを囁き、小さくうなずいた。時枝の前にある水鏡にはひとりしか映らないが、まるですぐ隣に、誰かがいるような素振りだった。
「あたしの父さま、去年、亡くなったんです。父さまとは離れて暮らしていたので、あたし、お葬式にも出られなくて」
『ええ、存じています。永原探偵の、勇壮な御最期は』
「はい…………」
 水面に映る、占い師と名乗った美女を見つめて、時枝はこくりとうなずいた。最初から「探偵小町」と呼びかけてきたのだから、無論、新橋の事件で落命した朱門のことも知っているのだろう。占いを生業とする者は、何も言わなくともそこまでわかるものなのかと舌を巻きつつ、時枝はもう一度、亡き父の顔を映してほしいと頼み込んだ。

 

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