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歴史・時代

東京探偵小町 第二十八話「牙持つ人」 <2>

   

「三年前は、まさかこんなことになろうとは夢にも思わなんだ」
「じゃア、なンだよ。オッサン、安請け合いしたってのかよ」
「安請け合いなどと言ってくれるな」

小説版『東京探偵小町
第八部 ―彷徨編―

Illustration:Dite

 

 時枝が応接室の扉の前に膝をつき、がたがたと震えながら話を聞いているなど、誰に想像できただろう。倫太郎や和豪は言うまでもなく、語り手である道源寺さえもが苦悩と動揺をにじませるなか、四人は紅茶に口をつけることもなく、話を続けていた。
「亡き永原くんは、上海の奥方と横濱の教会で結婚したそうだな」
「はい。僕も先生から、そううかがっています」
 まだ和豪も弟子入りをしていなかった頃、朱門と二人で探偵事務所を切り盛りしていた当時、倫太郎は朱門からしばしば上海の家族の話を聞かされていた。年に何度か上海の家族のもとへ出向く朱門が、上海土産を倫太郎に手渡しながら、あれこれと語ってくれたのである。
 世が世なら、とある大藩の家老格。
 そんな士族の家系に生まれた倫太郎は、親子の触れ合いや語らいの少ない、厳格な家庭で育てられてきた。父母を相次いで失う以前から、親とはそういうもの、家とはそうしたものと思っていた倫太郎にとって、永原家の仲睦まじさは驚きの対象であり、憧れの的でもあった。だからこそ、朱門の話を良く覚えているのだった。
「永原くんと上海の奥方は、ちょうど桜咲く頃に教会で式を挙げ、その直後にお時ちゃんを拾ったらしい。聖母像の足元に、生後間もない、乳飲み子のお時ちゃんが置かれていたそうだ」
「なるほど……それで亡き永原探偵は、わたしに『上の娘にはやや込み入った事情がある』と」
「逸見教授は、御存知だったのですか?」
「いつぞや、亡き永原探偵と話す機会があったときに、聞いた覚えがある。時枝嬢には、やや込み入った事情があると。君たちも」
 逸見の言葉に、和豪が不満をあらわにする。
 弟子入りが遅かった自分はさておき、少年の頃から朱門の助手として活躍してきた倫太郎さえもが知らなかった話を、目立った親交のなかった逸見が知っていると言うのである。それも、何かの事件に関する小さな逸話などではなく、時枝の出生にまつわる重要な話なのだ。
 和豪の怒りは、倫太郎にあっては少なからぬ動揺となって、その顔に現れている。そんな二青年の前で、道源寺は二本目の煙草に火をつけると、かつて朱門が語った言葉そのままに、若き永原夫妻と時枝の出会いを語った。
 それは十七年前の、ようやく桜がほころびはじめた春の日。
 横濱の教会で二人だけのささやかな式を挙げ、晴れて夫婦となった朱門と梅心は、大きな喜びと揃いであつらえた銀の十字架を胸に、教会の庭をそぞろ歩いていた。やがて梅心が声を上げて立ち止まり、聖母像の足元を指さした。そこに、まるで聖母の慈悲にすがるようにして、ひとりの赤ん坊が寝かされていたのだという。
 生まれたばかりと思しき赤子は、飢えに苛まれ花冷えにさらされ、弱りきって泣く力さえ失っていた。産着はおろか、名札も守り札も、書き置きのひとつすらなく、身を覆うものといえば、襦袢を引き裂いたような白い布切れが一枚だけ。そんなあわれな姿が、梅心の打ったのだった。
「名札も産着も、守り札もない…………」
「オッサン、それ、本当に前の大将がそう言ったンだろうな」
「本当だとも。上海の奥方がお時ちゃんを拾い上げて、自分たちの子として育てたいと言ってな。亡き永原くんも、すぐに賛同したそうだ」
「そうだったんですか……僕ら、まったく知りませんでした。顔はたしかに、先生と上海の奥さんのどちらにも、あまり似ていないなとは思っていましたけど」
 沈んだ表情で黙り込む倫太郎の隣で、和豪が椅子に片膝を立てて道源寺をにらみつける。いつもなら和豪の不作法をたしなめる倫太郎も、さすがに今夜ばかりは、そんな些事には構っていられないようだった。

 

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