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歴史・時代

東京探偵小町 第二十八話「牙持つ人」 <3>

   

「おまえは勘が鋭いからね。ジルフェをつけよう、行っておいで」
「はい」
「胸騒ぎか……動いたかな」

小説版『東京探偵小町
第八部 ―彷徨編―

Illustration:Dite

 

 ひとは変われば変わるものだと、二歩ほど先を行く主君の背中を見つめながら、ニュアージュは白い頬に微笑を浮かべた。あれほど「狩り」を厭い、生きることにさえ億劫な素振りを見せていた主君が、今はこうして夜毎の狩りに出掛けているのだ。
 これまでと変わらず、獲物の命を奪うことまではしないが、人間の生き血を啜ることに、もはやためらいはない。餓えをごまかすための酒ではなく、確実に糧となる人間の生き血を間断なく口にすることによって、自分が何者であるかを再認識しようとしているかのようだった。
「…………御主人さま」
 足音もなく夜道を進むなか、ニュアージュがふと足を止め、顔を上げた。それに気づいた御祇島が振り返ると、使い魔たる少年の、翡翠の瞳が輝きを増していた。
「なんでしょう、胸騒ぎがします。あたりの様子を見てきてもよろしいでしょうか。場合によっては、九段坂のほうまで」
 縁飾りのついたシャツの胸元を押さえ、ニュアージュが御祇島を見上げる。御祇島はこくりとうなずくと、くちびるに指先をあて、短い羅甸語を唱えた。ふっと息を吹きかけると同時に小さなつむじ風が生まれ、やがてニュアージュの周囲でくるりと弧を描いた。
「おまえは勘が鋭いからね。ジルフェをつけよう、行っておいで」
「はい」
 軽やかに駆け出す銀髪の少年の後ろ姿が、やがて一匹の銀猫に変わり、夏の夜闇に紛れていく。それを見送りながら、御祇島は少し欠けはじめた月に目をやった。
「胸騒ぎか……動いたかな」
 水鏡に映った亡き父の姿に、大きな衝撃を覚えた時枝である。揺れる心に突き動かされるまま、さりげなくそれと仕向けた行動を、今夜取ったのだろうか。
「乙女なれば、というところか」
 愛しい紅玉を胸に想い描き、御祇島は軽く地面を蹴った。
 その身の半分に人間の血を宿す御祇島は、驚異的な身軽さを持ってはいるものの、それでも一族の他の者たちのように、風のように動けるわけではなかった。生き血の摂取が減れば魔力の発動も小さくなり、狩りを怠るだけで使い魔の維持すら危うくなる。そんな不安定で未熟な能力もまた、御祇島の気鬱の種だった。
 だが、他者の血を喰らう者としての日々を重ねれば、一族の力が、本能的な衝動が、体と魂の奥底から熱く沸き上がってくる。人家の瓦屋根に足音も立てずに飛び乗ると、御祇島はそっとまぶたを伏せ、生温かい夜風に身を任せた。
「なるほど…………」
 使い魔の勘の良さを信じ、神経を最大限に研ぎ澄ませ、魔力という名の細い糸を伸ばして愛する少女の気配を探る。やがてまぶたを開いた御祇島は、その黄金の瞳を煌めかせてクスリと笑った。
「それぞれに主人想いなことだ。人間よりも純粋な分、一途に思い込んでしまうらしい」
 姿は違えど曇りのない心を持つ少年たちが、おのれの立場ゆえに三すくみで争い合う。そこに痛々しいものを感じながら、御祇島はさらなる闇のなかへ潜り込んだ。

 不穏な空気をまとった大鴉が露台の手すりに止まった瞬間、青藍はおのれの不覚を悔いるより早く、敵の術中に落ちた。眼光鋭い大鴉がひと声鳴くと同時に、そのくちばしから目に見えない針のようなものが放たれ、青藍はかわす間もなく胸を射抜かれた。
 途端に全身に猛烈なしびれが走り、やがて呼吸すらままならなくなって、青藍は身を震わせて床にうずくまった。露台に鴉がやって来たのを無邪気に珍しがっていた時枝は、愛する小鳥が大きな野鳥に驚いたものと見て優しく抱き上げ、シャム渡りの美しい鳥籠に入れた。青藍は時枝の守り手としてなんとか体を起こそうとしたものの、翼を動かすこともできず、息を継ぐだけで精一杯だった。

 

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