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歴史・時代

東京探偵小町 第二十八話「牙持つ人」 <4>

   

「その辛さ、その苦しみを、しばし忘れて眠りなさい」
「先生…………」
「これからあなたのそばには、いつでもわたしがいますよ。あなたはわたしに出会うために、この世に生まれてきたのです」

小説版『東京探偵小町
第八部 ―彷徨編―

Illustration:Dite

 

 御祇島に召喚され、手のひらほどの小さなつむじ風として現れた風の精が、ヒュンと空を切りながらリヒトに襲い掛かる。リヒトは素早く抜いた懐剣の切っ先で宙に五芒星を描くと、主君から習い覚えた羅甸語を唱えた。
「まさか……ジルフェ!」
 ニュアージュが手首をひねってつむじ風の進路を変えようとするものの、回避が間に合わず、リヒトが呼び出した紫電の障壁に衝突する。風の精は硝子が砕けるような高い音を残してあえなく霧散し、衝撃を受け止めたリヒトの障壁も暗い光を残して消え去った。
「驚きましたね。いつのまにそんな芸当を」
 主君から与えられた護衛役を失い、ニュアージュが困ったような笑みを浮かべる。対するリヒトは初めて発動させた魔力に戸惑い、疲弊し、肩で息をしていた。
 使い魔たる隻眼の少年に魔力の発露を見た逸見は、すぐに闇そのものを具現化させて使役する方法を叩き込んだ。厳しい訓練の後、攻勢を好まないリヒトが最初に会得したのが、主君から委譲された下級の火精を火種に発現させる、紫電の障壁だった。もともとの素質があったのか、それとも、自身の深い闇に染まりつつあるせいだろうか。リヒトが作り出した障壁には、御祇島の使役する精霊を打ち消すほどの力があった。
「オマエとやり合う暇はない。退け」
「つまらない冗談を」
「冗談ではない。退け」
 主君たる逸見を介さず、自力で人間を狩ってからというもの、リヒトはおのれが「本物の化け物」に近づいていることを実感していた。
 あの夜まで――猛烈な飢餓感に屈して泉水を喰い殺し、蒼馬にも牙を立て、時枝に怪我を負わせたあの夜までは、リヒトに目立った魔力はなかった。だが、何もかもが朱に染まったあの夜、リヒトのなかにあった何かの「たが」が外れてからというもの、その内側には底の見えない深い穴のようなものが生じていた。
 本来ならばその場に存在しないものをどこかから引きずり出してくる「力」は、内側に生まれ出た闇から滲み出してくる。つまりはそれが、魔力と呼ばれるものなのだろう。
 恐ろしかったが、墨色の闇が心身を浸食していくのは、妙に心地良かった。心地良いというより、楽だというべきだろうか。晃彦を奪還したいという思いは今も変わらずリヒトの胸のうちに在るものの、このまま魂まで黒く染まってしまえば、もう何も考えないで済むのではないかと思ってしまうのである。
「ここで退いたら、探偵小町がどうなることやら。あいにく、僕に退く気なんてありませんよ。化け物とやり合うのは、恐ろしい気もしますけど」
「化け物?」
「そうでしょう? みずから人間を貪り喰った挙句、わずかな血に酔って簡単に理性をなくすなんて。使い魔どころか、あなた、もう立派な化け物じゃないですか」
「違う、オレは」
 リヒトは、眼前に立つ銀髪の少年をまっすぐに見据えた。
 一切の思考を放棄した、ただの操り人形になれるのなら、そうなってしまっても良いと思う自分がいる。だが、そうはなりたくないと歯を食い縛る自分もまた、たしかにいるのだ。
「オレは」
 リヒトは、片方だけのまぶたを伏せた。
 晃彦の大きな手、優しい声、厳しくも温かな眼差しを、意識して脳裏に蘇らせる。そうして再び目を開けると、リヒトはこれまでに何度も他者の血を吸ってきた抜き身の刃をニュアージュに向けた。
「オレは、化け物ではない。オレはオレだ」
「だったら」
 あてもなく歩いていく時枝を気にしながら、魔犬と妖猫がにらみ合う。暗闇のなかで互いの瞳が奇妙な光を放つなか、ニュアージュは両手の爪を鋭く伸ばして地面を蹴った。
「番犬は番犬らしく、さっさと家へ帰りなさい!」
「っ!」
 斥候として放ったつむじ風にも劣らぬ速さで、手刀を構えたニュアージュがリヒトとの間合いを詰める。すんでのところでかわしたはずが、ニュアージュの手刀がリヒトの頬をかすめ、そこに瞬く間に赤い線が浮かび上がった。

 

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