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ホラー / 怪奇 / 恐怖

妖画トロンプルイユ <素描>

   

 イヤ、嬢ちゃんは座っとりなされ。
 外で頂くのはコーヒーがもっぱらですが、小生は紅茶に緑茶、中国茶、アルコールならばなおよしのオールマイティー派でしてな。ほかの家事はろくろく出来ずとも、せめて客人をもてなす茶の一杯くらいは用意できねばと、若い時分からこれだけは自力でやっとるのです。
 しかし、さすがに、寄る年波には勝てんと申しますか。
 この頃は、足がめっきり弱くなりましてな。イヤ、両足です。
 朝に晩に、ことに雨の降る日なぞは、爪先からふくらはぎまで、しびれてしびれてかなわんのです。エレーヌが時折、薬草茶だの薬草入りのパン菓子だのと体に良いものを差し入れてくれるのですが、歳を取れば、多少のガタが出るのは致し方ありますまい。
 それで先日、ついに観念して、車椅子を注文しましてな。
 こうして自分の足で立ち、手づから客人をもてなせるのも、いつまでになりますことやら。
 ふむ、このへんでよろしかろう。
 嬢ちゃんのために、今日はとっておきを用意しましたぞ。
 エレーヌが差し入れてくれた、高貴な香りの薔薇紅茶でしてな。嬢ちゃんの着ていなさる薔薇模様のドレスを目にして、今日はこれをお出ししようと思いついた次第です。
 良い香りが漂ってきましたろう?
 これは薔薇の実ではなく、花びらを使っとるようですな。
 イヤ、茶葉とのブレンドではなく、エレーヌが自宅の裏庭で手づから育てた薔薇の乾燥花弁のみを使っとるそうです。エレーヌ自慢の薔薇紅茶、冷めぬうちに御賞味あれ。
 どれ、小生も相伴を……ふむ、ちと蒸らしすぎましたかな。
 口に渋みが残るよう。こういうときは、これこれ、茶さじ一杯の薔薇蜂蜜を加えると、ぐんと味が良くなるそうですぞ。嬢ちゃんも入れてみなされ、もちろん好きなだけ。

 …………さて。
 ひと息ついたところで、今日の用件に入るとしましょうかな。
 なに、そう身構えんでもよろしい。カメラの前ではいざ知らず、小生の画室では、作り笑いなど無用のこと。自然が一番よろしい。嬢ちゃんはそのまま甘いものを、小生がこちらにいて、軽く素描をさせて頂ければ結構。
 ふむ、仕上がり具合が心配ですかな?
 嬢ちゃんの顔ならよーく覚えとりますし、百合子くんが嬢ちゃんの載っとる雑誌を、ほれ、このようにあるだけ届けてくれましてな。黄色い付箋の貼ってあるページ、すべて嬢ちゃんが載っとる。イヤハヤ、嬢ちゃんの活躍ぶりには舌を巻きましたぞ。
 ただの肖像画なら、これで十分ですわい。
 そう、どこにでもあるような、ただの肖像画なら。
 しかしですな、もしも、嬢ちゃんがそう望むなら。
 ここはひとつ、小生の画才を振り絞っての大作に挑んでみようかと、かように思っとるわけです。嬢ちゃんがお望みの世界を描き、嬢ちゃんをその世界の女主人公として迎えるわけです。
 ふむ、上手く飲み込めませんかな。
 これは口頭であれこれ説明するより、幾つかの作例を見て頂いたほうがよろしかろう。嬢ちゃんにお見せしたことのあるのは、主に風景画でしたからな。
 嬢ちゃん、立つのが面倒でなければ、こちらへ来て下さらんか。
 こう見えても小生の画室は、なかなか手の込んだものでしてな。大工に言って、ちょっとした仕掛けがしてあるのです。この書架の左端の棚を、こうして、ちょいと、ずらしてやれば……ようこそ、我が秘密の画廊へ。
 イヤイヤ。
 そう手放しで称賛されますと、くすぐったいものですな。
 少々格好をつけて「秘密の画廊」などと言ってみましたものの、なかは御覧の通り。割合に良く描けた素描や習作、とりあえずの完成品を並べておくだけの、簡素な収蔵庫になっとります。

 

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シリーズリンク

妖画トロンプルイユ<全2話> 第1話第2話

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