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ホラー / 怪奇 / 恐怖

妖画トロンプルイユ <素描>

   

 左様、画室の横幅に合わせて、細長い廊下が三本ほど続くように作ってありましてな。内部は、おおまかなテーマごとに分かれとります。書架を開けてすぐのこちらは、名付けて「白の部屋」。素描や習作、製作途中のものを置いた部屋で、まさしく倉庫と言えましょう。このひとつ奥を「青の部屋」、さらに奥にありますのを「赤の部屋」と呼んどります。無論、作品の色味によるものです。
 素描や習作はその名の通り、お見せするのも恥ずかしい、落書き程度のものでしてな。嬢ちゃんに御覧頂くとなれば、一応の完成を見た、赤と青の部屋になりましょう。
 さて、どちらから御案内しましょうかな?
 むせ返るような、燃える薔薇の赤に満ちた狂乱の世界。
 凍てつく月光のような、哀しい静寂に包まれた青の世界。
 そのどちらも、小生の画布の前に立ったモデルたちが、心の奥底から熱望した世界なのであります。言葉を持つ者は言葉で、言葉を捨てた者は眼差しで。望む世界をどうにも表現しかねるとなれば、小生がその想いを汲み取り、絵にしてやりました。
 楽園を望んだ者もおります。
 終わりのない、果てしのない快楽を望んだ者も。
 そして二度と目覚めることのない、永久の眠りを望んだ者も。
 彼らはみな、この絵のなかで、今もなお生き続けとるのです。
 おお、嬢ちゃん。
 これは比喩などではありませんぞ。
 そう、これは決して、文学的な比喩などではないのです。
 言うなれば、ここにある絵は、ひとつひとつが小さな「おとぎ話」のようなもの。小生は「医学の発展」という錦の御旗のもと、ときに無慈悲とも思える実験や投薬や施術を試みたこともありましてな。無論、真に心を病む人よりは、罪多き咎人を多く使ったとは申せ、小生の医学研究が非人道的であったことは、紛れもない事実なのであります。
 そもそも、肉体と精神とは分かちがたく。
 精神が深く傷つけば、たとえ肉体的には無傷であっても、人は簡単に命を落とすのであります。夜毎に悔い、おのれを責めもしましたが、小生はあくまで学究の徒。次なる患者を救うためと、非情に徹しながら、一方でその魂の安寧を祈ってもおりました。
 左様、その通り。
 小生の絵のモデルは、そのほとんどが、小生の診てきた患者たちというわけです。これからお見せする絵は、いわば彼らの約束の地。鍵と柵と鎖だらけの病棟に閉じ込められ、生き地獄を見た者たちがたどり着いた、永遠の安息地なのであります。
 無論、小生のモデルのなかには、その重き罪ゆえに、無限の罰を受け続けとる者もおります。小生もただの人間ですからな、モデル本人の意思より、彼の者に深い傷を負わされた者の声が大きくまた正しければ、そうなることもありえましょう。
 嬢ちゃんや。
 嬢ちゃんは例の春の食事会で、小生の絵をして「夜の湖の底から世界を眺めているよう」と評してくれましたな。その言葉に、小生は強く胸打たれたのです。胸打たれたからこそ、小生の画室にお招きしたわけです。
 嬢ちゃんの事情は、おぼろげながらに拝察しとります。
 百合子くん、すみれくん、エレーヌの輪のなかに在る、それだけでも大罪に値するのは小生とて同じこと。来週にも届く車椅子が、小生にとっては「終わりの始まり」と申せましょう。
 例えば……そうですな。
 小生が学究にすべてを捧げた魔法使いであるならば、嬢ちゃんはさしずめ、帰らずの森に迷い込んだ哀れな少女。魔法使いは学究に狂って罪を重ね、少女は乙女心ゆえに罪を重ねた。
 言わば我らは、同類なのではありますまいか。
 だからこそ、小生は嬢ちゃんを描かずにはおれんのです。
 さあさあ、さほど数はありませんが、まずとはとくと御覧あれ。
 お望みとあれば小生はこの絵筆をもって、嬢ちゃんに「永遠」を捧げましょうぞ。

 

《つづく》

 

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妖画トロンプルイユ<全2話> 第1話第2話

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