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妖食フルコース フェスタン <アペリティフ>

   

「礼央」
俺は、声に出して息子を呼んだ。
いなくなって、もう1年近くにもなる幼い息子を呼んだ。

妖食フルコース フェスタン
 ~第1章:アペリティフ~

Illustration:まめゆか

 

◆アペリティフ◆
《レストレーション》
 ~赤ワインとブランデー、ストロベリーリキュールのカクテル~

 仕事がありすぎるときは、食事から始めよ

(アフリカの諺)

 終幕というものは唐突に、そしてひどくあっけなくやって来る。息子の礼央も、家内のさつきもいないガランとしたダイニングで、俺は4本目のビールをあおっていた。
 何日分もの新聞や郵便物が無造作に積み重ねられたテーブルの上には、温かい料理どころか、コンビニで手に入るような簡単なつまみすらない。空きっ腹にビールだけが溜まっていくなか、俺は前妻から郵送されてきた離婚届に、死ぬほど苦々しい思いで判を押したときのことを思い出していた。
(そういえば…………)
 キッチンからダイニング、リビングまでのL字型空間をなんとはなしに見渡した瞬間、俺は「既視感」というものを覚えた。視界が揺らぐような奇妙な感覚のあと、脳裏にふと浮かんだのは、かつて住んでいたマンションの一室だった。
(あのときの部屋と、間取りがそっくり同じなのか)
 インテリアはまったく違うものの、かつての住まいと瓜ふたつの間取りに、言いようのない薄気味悪さを感じる。胸の奥底から沸き上がってくる不安を振り切るように、俺は飲みたくもないビールを飲み続けた。だが、それで気持ちが楽になることはなく、かえって嫌な思い出ばかりが蘇ってくる。苛立ちがつのり、俺はなかば叩きつけるようにしてビールの缶を置いた。
「バカバカしい! あんなの、12年も前の話じゃないか」
 ――――12年前の、あの日の俺は。
 ほんの1年足らずしか住まなかった、まだ新居と言ってもいい自宅マンションのリビングで、判を押したばかりの離婚届を呆然と眺めていた。熱と香りのどんどん薄らいでいくコーヒーを前に、ただただ、こうなった理由に思いをめぐらせていたように思う。
 初婚のとき俺はまだ20代だったが、住まいだけは見栄を張って今と同程度のマンションに住んでいた。前妻は大手メーカー勤務のふたつ年上のキャリアウーマンで、暮らし向きには余裕があった。そのかわり、気持ちの余裕はあまりなかった。
 俺は海外出張の多い商社マン、前妻は昇進レースのまっただなかで、自宅でゆっくり夕食を取ったことなどほとんどなかった。海外出張が多いとは言え、ひと月のうちの20日程度は自宅で寝起きしていたはずなのだが、自宅で前妻の手料理を味わったという記憶がない。できないはずはないのだが、前妻はまったくと言っていいほど家事をせず、疲れた体に鞭打って掃除や洗濯をするのは、いつだって俺のほうだった。
 できるほうが家事をする。それはいい。
 稼ぎが同程度だったこともあり、俺は進んで家事をこなした。
 口には出さなかったが、子供を持つならなるべく早いほうが前妻にとっても良いだろうと思っていたから、家事分担には積極的に取り組んでいたのだ。
 だが、前妻は俺に甘えるばかりで感謝の言葉のひとつもなく、ついに俺も堪忍袋の緒が切れて大喧嘩に発展し――取りつく島もないまま前妻は出て行き、あっというまに離婚届が送られてきた。派手な結婚式を挙げたとは言え、夫婦らしく過ごした時間があまりに短かったせいか、俺は離婚そのものについては、特に何も思わなかった。空しさはあったものの、辛さはなかった。

 

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