幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

恋愛 / ラブ・ストーリー

オクターヴ上げて奏でる[5] ラ・カンパネラ

   2018年1月5日  

「おはようございます。」
「あ、……おはようございます。……」
 朝の通学電車で、彰君の顔を見るのが、物凄く照れ臭かった。なんだか彼が、以前よりも二枚目になったように見えて、その笑顔が私のための作られていると思うと、世界中の幸せを独り占めしているようにすら思える。
「昨日は、よく寝られましたか。」
「あ、……うん。」
「そうですか。……僕は、眠れなかったな。奏子さんに会うのが、待ち遠しくて、待ち遠しくて。『朝になれ』『早く、朝になれ』って、ずっと思ってた。」
 くすぐったい、彼の言葉が、私の体を擽る。何で、この人は恥じらいもなく、こんな言葉が言えるのだろう。……爪の垢を煎じて飲むことが迷信でないならば、一杯頂きたいと思う。
「あ、そうだ。これ、奏子さんが持っていて下さい。」
 彰君は小さな紙袋を差し出してきた。中を見ると、彼のPHSと、その充電器が入っている。
「これ、奏子さんが持っていて下さい。やっぱり家に電話して、お父さんが出たら緊張しちゃうから。」
「え、別に、お父さん怒ってないから大丈夫だよ。それに、これ受け取るくらいなら、私も買うから。」
 彰君は、「違うんです。」と言って、にこりと笑いながら首を振っている。
「僕、奏子さんに公衆電話から電話する、あの時間が好きなんです。雨でも、寒くても、奏子さんと話したくて、外へ出ていく自分も好きなんです。いつか皆が、これを当たり前に持つようになって、そんなことしなくなるでしょ?きっと、部屋の中でテレビでも見ながら、好きな人に電話する日が来るんですよ。そんな時に僕は、自分の人生の中に、今の時間があったことを『得したなぁ。……』って、思いたいんです。」
 体を擽るこそばゆさが、すっと抜けていくのが分かる。彼の言葉を自然に受け止めた。いつも通りの満員電車。周りの人々は、二人の会話を聞いて、どう思うのだろう。……いつもならば、そんなことを気にしてしまうが、今は周りの人よりも、自分が特別な存在に思えてしまう。
「それをいうなら、私も外から電話しないと損をしているみたいじゃない。」
 彰君は、「それは駄目です。」と言って、また、にこりと笑っている。
「奏子さん、ピアノ外まで持っていけないでしょ?僕、奏子さんの弾くピアノ聴きたいから。」

 その日の晩も、次の日の晩も、彰君は公衆電話から、電話を掛けてきてくれた。週に四日、夕方はコンビニエンスストアでアルバイトを始めたらしいのだが、電話代の為に働いているようなものと笑っていた。
 そんな、たわいもない会話をしたり、彼にピアノを弾いて聴かせたり、気が付けば日を跨いで話をしていた。
 私も夕方はピアノのレッスンがあったから、彼と過ごす時間は、朝の電車と、夜の電話だけになってしまうが、一日にホログラムのように眩く光る時間ができていた。
 だが今日は、電話で話す彼の声が、いつものように弾んでいない。理由を聞けば、崇君が、あの万引き事件以来、学校に来ていないそうだ。
「僕も、巻き込まれたのが頭にきていたから、気にしてなかったんだ。どうせ会うのが気まずいだけだろうって。……でも四日も経つし、先生に訊いたら、昨日、今日は、連絡もないって言うから。……」
「そうなんだ。……この前、彩乃に訊いたら、家には帰っているって言っていたけど。……また明日、訊いてみる。」
 私が嫌がらせの犯人に気が付いていた素振りを見せても、彩乃との中は今までと変わることがない。むしろ、罪を取り繕うとしているのか、今までより私に気を使っているようにも見える。
 コンクールなどがあると、私が選曲する作曲家のものを選んでいるように思えたけれど、今度のコンクールは、ショパンの《革命のエチュード》で臨むと言っていた。

「落ち着いて考えたら、崇は、ああ見えて万引きとか、人の物をくすねるような真似が嫌いな奴なんだ。だから、きっと理由があったはず。……」彰君の声は、酷く沈んでいた。

 

-恋愛 / ラブ・ストーリー
-, , , , ,

シリーズリンク

レビュー

この作品はいかがでしたか?
あなたの感想を送って、作家を応援しよう!

レビューを書く

おすすめ作品