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恋愛 / ラブ・ストーリー

オクターヴ上げて奏でる[6] きらきら星

   2018年1月10日  

 放課後に崇の家を訪れた。初七日が過ぎて線香もあげていなかったこともあるが、彩乃さんに訊きたいことがあった。
 崇の遺影に手を合わせ終えると、彩乃さんはニコリと笑って、僕に紅茶を入れてくれる。
「崇にちゃんと、謝ったぁ?」
 彩乃さんの言葉に驚いた。もしかすると、崇と最後に会った日の出来事を知っているのだろうか。……ならば、謝るのは崇だけでない。この人にも謝らなくては。
「崇に会いに来たんじゃないでしょ?目的は、奏子のことでしょ。」
 この人の笑みが怖い。美人は人に騙されないために、心を見透かす方法を知っているのだろうか。……『そうです。』なんて言えないから、僕は言葉に詰まってしまう。
「会ってないんでしょ?奏子はね、来週コンクールの校内選考があるから、そのことで忙しいのよ。朝も早い時間から練習しているみたいだし。……」
「奏子はね、って……彩乃さんは出ないんですか?やっぱり崇のことがあるから、……」
 彩乃さんは、「違うよ。」と言いながら、首を横に振っている。
「崇のことを考えたら出るわよ。馬鹿な弟だったけど、私の演奏は、いつも聴きに来てくれていたから。でも、私はもう奏子と張り合うのは嫌なの、だから出るのやめたの。だって敵わないもの。あのピアノ《きらきら星変奏曲》聴かされたら、お手上げ。私のピアノなんて楽譜通りに弾くだけで、普通の演奏よ。才能のある人間って、こういうところが違うんだなって思った。」
 確かに奏子さんは、将来の夢を肖像画になることと言っていた。彼女は自分でその素質に気が付いているのだろうか。……だが人にはその素振りを見せることがなく、それもまた偉人への素質かも知れない。
 奏子さんの人間性は、確かに人とは外れている。しかし、今日までの時代、そういう人がつくり上げた物や作品で僕等の生活は成り立ち、心を豊かにしてきたのだろう。
 ますます彼女に惹かれていく僕がいる。そして、彼女に相応しい男になるために償わなくてはならないことがある。
「彩乃さん、……実は僕、崇が死んだ日の夜、殺される前に会ってるんです。」
 彩乃さんは、「そう。……」と言いながら微笑んで見せると、その顔に誘われて僕は涙が溢れた。
 今更になって、崇が二度と帰らぬ人だという実感が湧いてきた。
 棺の中に納められた崇の姿を見ても、こうして遺影に手を合わせても、その死はどこか遠くのもので、その時の悲しみに理由はなかった。
 その感情を説明する言い回しもないが、そこで悲しみを見せることが、あるべき姿のようなもの。
 けれど彩乃さんを前にして、僕が助けられなかった崇のことを考えると、涙を流す理由が纏まった。
 それを言葉にすればするほどに、僕の中にいた崇が遠ざかってゆく気がする。
「あの日、崇は僕に金を貸してくれと頼んできたんです。でも、こんなことになると思ってなかったから、金をせがまれたことにも、……それに他のことでムシャクシャしていたから崇を殴っちゃって、……僕がちゃんと理由を聞いていれば、崇は死ななかったかもしれないのに、……」
 彩乃さんは泣きじゃくる僕のことを、どういう顔で見ていたのかは分からない。けれど、「羨ましいな。……崇には、悩んだ時に相談できる友達がいたんだね。」と、優しい声が聞こえる。僕の心に刺さった棘は、その言葉に抜かれた。

 

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