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青春 / 成長

メイク・アップ・レイディ 第二話 白痴とレイディ

   

レイディってなんだべか?
ラングストン教授に引き取られたミランダは、レイディへの答えがわからない。
ミランダにはあらゆる素養がなく、それゆえにあらゆる可能性に満ちていた。
教授はミランダを研究対象にし、ミランダは自分を造り出す。
洋服をあつらえるのに奔走し、ついにミランダは自分を見つける。
自我が萌芽する第二話。
『メイク・アップ・レイディ 第2話 白痴とレイディ』

※本作に登場する人物、文化、地域、団体名などはすべて架空のものです。

 

 
 レイディになるってどういうことだべか?
 汽車を降り、ラングストン家の自家用車に乗っても、ミランダの頭のなかはこの言葉から先に進まなかった。なにも出てこなかった。レイディがなんであるかも。ミランダがこれからどうなるのかも。不安という不安はなかった。ミランダは怖がることを知らない子どもだった。愚かではない。知らないのだ。自分の心の動きも、他人の心の動きも。ミランダが知っているのは、どのようにすれば客に叱られないように済むかだけだった。
 だから、そうそうたる旧市街を見ても、アメリカ入植当初から建つ劇場よりも大きくて立派なラングストン邸に自分の乗る車が吸い込まれていっても、頭も心もからっぽのままだった。
「さ、ミランダ。今日からここに住むんだ」
 車が停まった途端、居並ぶメイドや執事が、丁寧に手早くトランクを開け、荷物を取り出し、後部座席のドアを開け、主とミランダにかしづいた。おかえりなさいませの声がミランダには遠い。おかえりなさいと言われたことなんて、一度もなかったし、これから言われるという実感もなかった。
 車と石畳のわずかな隙間に赤いクッションの踏み台が置かれる。老教師ナオミ・ラグストン教授は、ためらうことなくビロードのクッションを踏みつけ、降りた。そうすることが当然の階級の人間だった。
「さあ、ミランダ。これに脚を載せてごらん。ゆっくりでいい」
 教授はほほえむ。ミランダは言われたとおりにした。命令されたことを忠実にこなしていく。ミランダにとって当然の行動だった。
 赤いクッションに映える踵のすり減って汚れたボロの給仕靴は、ミランダがこの屋敷に住むに相応しくない人間であることを誰の目にも明確に証明して見せた。一瞬、メイドや執事のあいだに、哀れむような、やっかむような感情が走る。気配だけ感じ取ったミランダが顔を上げた。彼女が顔を上げたときには、すでに使用人たちのあいだで共有され、秘匿されていた。老紳士はそれに気づかない階級クラスであったし、ミランダは感情に無知な少女だった。
 踏み台を使用法通り使って降りたミランダの前に、彼女より少し年上の赤毛のメイドがやってきて深く一礼した。糊がきいて美しい黒のメイド服に手入れされて磨き込まれた黒革靴。真っ白のエプロンはたくさんのフリルが嫌味なくついている。手にはミランダのがらくたが詰まったトランクが握られて、はしばみ色の目が伏せながらもミランダを見ていた。
「メイドのサーシャだ」
「サーシャと申します」
 もう一度、深々とした会釈をする。ミランダは会釈を返しながら、なるほど先生がおらを連れてきたのはこのためだったんだ、レイディってのはこういうのだと独自の回路で独自の理解をした。
「ミランダだ。おらもお仲間に加わります。よろしくおねげえします。先生、レイディってのは、こういう人たちのことを言うんだな。先生がおらの新しいご主人様になるんだな」  
 あっけらかんと言った。
 サーシャは虚を突かれた。同輩のミナが、素早く目配せし、唇の動きだけで〝頭がどうにかなってるのよ〟と囁く。みな、メイドに加わると勘違いしているミランダを異物のようにさりげなく見つめていた。
 ラングストン教授はしばらく考え込んでいたが――それはなにを言おうか迷っていると言うよりも、あまりにもミランダの物分かりの悪さに厄介な者を請け負ってしまったという面倒くささがあった。もっとも教授の仕事はそういう人々の相手をすることにあるのだが――ほほえむような苦笑いのような目尻の垂れたなんとも言えない顔つきで、「ミランダ、いいかい、君はメイドになるんじゃない。サーシャはレイディではないんだ。君付きのメイドなんだ。なんでも用事を頼みなさい。それに、私は君のご主人様ではないんだ。いつもどおり先生と呼んでくれて構わないんだよ」
 かみ砕いて諭した。
「んだら、掃除も洗濯も料理もしなくていいんで?」
 ミランダの声がほんの少し上ずり、教授はおやという目つきをした。
「もちろんだ。それは私の考えるレイディの仕事ではない。下働きのやる仕事だ。雑務だ。レイディとはもっと実利のあることをやるものだ。わかるかな?」
「ああ! なんてことだべ! 掃除も洗濯も料理もしなくていいなんて! おらあ本当に天国にいるんじゃねえか? 先生、ありがとうございますだ!」
 ミランダは教授の手の甲に接吻し、膝をついて深々とこうべを垂れ、厳粛な祈りの言葉で祈り始めた。それは神に対する祈りの言葉だった。
「失礼ですがミランダ様。このような場所で祈るのは……」
 内心呆れはてたサーシャが祈るミランダを立たせようとしたが、主はしーっと指を唇の前に当てて咎めた。
「彼女の好きなように振る舞わせなさい」
 教授の緑色の目にはミランダへの好奇心しかなかった。
 

 

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メイク・アップ・レイディ 第1話第2話

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