珠里が怪しんだ女……角田と暮らしていたのは潜入専門の設楽 飛鳥警部だった。
珠里は設楽警部を前に、設楽警部を使い、角田を確保しろという笹倉からの厳命を受ける。
『夜の顔、昼の顔』第二話。
珠里は配達人の格好をまとめて処分して、バンも適当に宅急便の配送会社に置いてくると、いつもの黒ずくめになってたばこを吹かしながら、夜の開店を始めたばかりのバー・フェリチータの黒電話を借りて笹倉に電話した。今日は非番で、あれやこれやを楽しんでいるらしく、電話の背後で女の嬌声がする。
「角田の確保には失敗した。変な女がいる。探ってくれ」
処分したスマホの代わりにパソコンでデータを送ると、笹倉が彼らしくない声をあげた。
『こりゃ、驚いた』
「知ってんの?」
『潜入調査専門の警部だろうな……俺が見たときとは顔が変わってるが……いやいや、特捜部も粋なことをするな。名前は設楽 飛鳥だったな』
珠里はめんどくせえことになったとスパスパ吹かした。
「お使いは続行?」
『ああ。こっちも警察が動いてるとなると、そこそこの準備はしなきゃならないからな。この女は泳がせておいていい。存分に使え』
「使えたって……」
『向こうもお前のことを知ってて手を出さないんだから、互いの利害の一致を見ようじゃないか。ただし接触はするなよ。面倒くさいことになるからな』
「へーい」
そういってアナログな黒電話を切る。
珠里が笹倉から頼まれた〝お使い〟は、笹倉のいとこが組長をやっている山上会の面汚し角田 健の確保だった。ヤクザは仁義の世界で建前を大事にする。今回捕まったら殺さない程度には痛めつけられるだろう。
角田は、足を洗ったのならまっとうに生きればいいものを、そこが力にすがりついていた者の卑屈さで、墨も入れていないのに、半年も経たないうちから山上会に戻りたいと訴えるようになった。戻りたいといって、兄弟の縁故断ちした男を戻せるはずもなかったし、組長の山上 龍祥も戻らせなかった。しばらくはそれで済んでいたのだが、あるときから、山上会の金が勝手に動くようになった。組内で調べてみたところ、角田が浮上してきた。角田は組内の金庫番ではなかったが、IT化に一枚噛んでいた。そこをつけ込まれたのだった。
本当は組内で処分するところを、一般人になった角田を掠うわけにもいかない。山上会はクリーンで通っているのだ。そこで笹倉が相談され、珠里にお達しが来たというわけだった。
「あー、めんどうくせえ」
マスターのアンナが、「まーた、厄介なことに首を突っ込んでるわけね」とグラスを磨きながら言う。その晩は風が強く、客足は鈍かった。
「あんた、先生に泣かれるよ。あんたをこの道に引き込んだ人に、顔向けできないでしょ」
「今、その名前を出されてもなあ。あたし、こんなだし。てか、先生、来てるの?」
ううん、とアンナは首を振った。
「あんまりお加減がよくないみたいなのよ。たまにあたしも病院に行ってる」
金がなくなって風俗に行くしかなかった探偵でもなかった頃の珠里を救ってくれた〝先生〟は、珠里が先生の秘密を暴いてから、ふっつりこの店に来なくなった。そのあいだに珠里もなんやかんやと荒む事件ばかりあり、笹倉に知り合い、今の状態になった。
「そのうち見舞い行ったら、前園 珠里がよろしく言ってたっていっておいて」
「自分で言いなさいよ。まったく」
それからなんの事件もなかった。珠里は酒をなめ、アンナはグラスを磨く。しばらくそんな時間が続いていただろうか。ふいにぴくりと珠里が動き、イヤホンをしだすと、にんまりした。
設楽 飛鳥警部と角田 健のピロウトークを聞いていたのだ。