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青春 / 成長

メイク・アップ・レイディ 第三話 ミランダとサーシャ

   

 
 その日から、本格的にミランダの基礎教育係を任されることになった。進捗はノーマに提出し、ノーマから翌日の予定を指示される。ミランダは廊下を歩きながら、食事をしながら、AだBだのの身振りをして懸命に覚えようとしていた。サーシャを見つけると、歌にのせて、AからZまで歌ってみせた。サーシャはそのたびに、仕事を止め、聞き、一緒に歌ったり踊ったりした。みなには、馬鹿呼ばわりされ、ミランダは〝馬鹿な芋娘〟とあだ名がついた。
 館の主のラングストン教授は「ミランダの心が動いてる」とにこにこしてサーシャの給金を一セントあげてくれた。サーシャは複雑な心境で、主の決定を聞いた。
 無事、アルファベットを覚えたミランダの次の相手が綴りだった。万年筆の使い方からサーシャが教え、インクを洋服にこぼしてわぁわぁ言いながらもミランダはこれもなんとか覚えた。ミランダはベッドの中でも綴りを練習しているらしく、シーツがインクで汚れていて、洗濯係のパッドおばさんにぶうぶう文句を言われた。ミランダのために謝ることも、仕事の手を止めることも、サーシャは嫌だとは思わなくなっていた。ミランダはとてもまじめで、そのまじめさが、人から見れば、ずれているだけなのだ。ノーマやラングストンなどの知的階級にはわからず、観察対象となる人物だろうが、サーシャにしてみれば、労働者階級の子どもにはよくあることで、ミランダの「なにも知らない」部分だけを取りあげるのをいやがるようになっていた。差し出がましいようですが……と、叱責覚悟でノーマに意見をしたためたが、黙殺され「今日から単語をよろしくお願いするわ。それが終わったら私が担当します」とだけ言われた。
 いつもどおり朝の仕事を終わらせ、ミランダの部屋に向かうと、サーシャの主はにこにこしながら待っていた。ミランダはいつも笑っている。
「ミランダ様。次は、単語です。これが終われば、わたくしは教育係から外れます。よろしくお願いいたします」
「……そっかぁ」
 ミランダに悲しみという感情がほとんどないことをサーシャだけが気づいていた。ノーマには報告していない。いつでも笑顔で、大口を開けて笑う観察対象の女の子は、母親のお腹に悲しみの種を置いてきたらしい。それを人は不幸だと呼ぶのだろうが、サーシャにはとても幸運なことをだと思えた。
「ミランダ様」
「うん?」
「わたくし、ミランダ様付きになったとき、不幸だと思いました」
「ひでえなあ」
 けらけらとミランダは笑う。自身がないがしろにされても、ミランダはいっこうに気にしない。
「ですが、今は、とても幸運なことであったと思うのですよ。ありがとうございます」
 サーシャが深々とお辞儀をすると、ミランダが作法教師に習ったばかりのスカートの裾を持ち上げる会釈をした。
「お見事です」
「はじめてほめられただ」
 サーシャは、ミランダの手を包み、「不躾ですが」と前置いて、言った。
「これから、たくさんの困難が待ち受けているでしょう。ですが、ミランダ様、あなた様はそれを乗り越えられる力を持っています。わたくしが申したことをお忘れになっても構いません。けれど、どうぞ、ご自分だけは、信じてあげてください」
 ミランダはそのときばかりは神妙な顔つきになった。
「忘れねえよ。おら。友達の言ったことは忘れねえ」
「ありがとうございます」
 そうして、最後の単語の授業が始まったのだった。

 

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