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青春 / 成長

メイク・アップ・レイディ 第三話 ミランダとサーシャ

   

 
「大変申し訳ありませんが、カップが使用人の物しかありません。お許しください」
 ずっしり重い茶色いカップを渡すと、ミランダは懐かしそうに笑った。
「劇場ではみんな、これで飲んだんだ。重くて茶渋がとれなくて、大変だったんだ。重曹使うんだべな。茶渋取るのに」
「ええ。週にいっぺん、みなのカップを集めて重曹につけるのです……」
 ああ、この子とは、立場が違えば、とてもよい友達になれただろう。サーシャはそう思った。主人とメイドではなく、メイド仲間でもいい。この子のあっけらかんとした笑みをもう少し見たかった。
「ありがとう、サーシャ。サーシャはおらのとっても大切な友達だ」
「……とんでもございません。職務を果たしただけです」
 あっけらかんとした、ぱかっと口を開いた笑みを見せたミランダに、それまでの月日が重なって、胸が熱くなった。
「それをお飲みになったら、少しお休みください。明日もありますから。まだ授業は終わったわけではありません」
「んだなあ」
 それからしばらく単語と格闘し、明け方、ふらふらしているミランダを送り届けると、サーシャは、まだざわめきがわき出す前のメイド部屋で潜り込み、ノーマへの進捗を書いて、寝た。
 身体についた習慣は恐ろしいもので、それから数時間も経たないうちにぱっちり目が覚めた。寝不足で用意していると、メイド長から今日は仕事をしなくていいと言われた。ミランダがそうお願いしたらしい。部屋に戻ろうとすると庭師のエヴァンスが、郵便だよと白い封筒をよこした。宛名は父だった。近況報告と金の催促だろうと踏んだサーシャは、その場でペーパーナイフも使わず開け、一読すると、朝の忙しい時間に右往左往するメイドたちの間を縫って、自分のベッドに潜り込み、もう一度頭から読んだ。
 

 愛するサーシャへ
 ロシア帝国が終わる。新しい国が建つことになるだろう。ついてはお前にも協力して欲しい。これを受け取ったときに、仲間がお前と接触する。裏の店【フォレスト】に来い。

父より

 

 サーシャはランプの明かりで手紙と封筒を燃やすと、ショールを頭から引っかけ、裏門からそっと出ていく。疲れたから裏の店でブランデーを引っかけてから寝るわと同僚たちには言って出てきた。腐敗しきったロシア帝国が終わる! 心臓が高鳴りながらも、まったくの平常心を装った。
 サーシャたち親子は――亡くなった母・アナも――ロシア帝国に追われた革命分子難民だった。身分を隠してアメリカに移り住み、今に至る。父は靴職人として働き、せっせとアメリカ国内に潜伏する仲間に資金提供を続けた。ノーマの給金もそこに投資されている。ただひとつ不安なのはなにも知らない弟妹たちを巻き込まないかだった。
(父さんは、巻き込むでしょうね)
 それが革命に生きる者の宿命だった。
 やがて仲間がいるという【フォレスト】というロシア人が営む軽食屋に入ると、店主から「|プリヴェッタム(こんにちは)」とロシア語で挨拶された。この店主もまた革命の仲間なのだ。
〈父・イヴァンの命で来ました。同志はどこに?〉
〈そちらの席に。ロシアンティーでいいかな〉
〈ありがとう〉
 奥の席の、どこにでもいる中産階級の男がサーシャを見つけて手をあげた。
〈やあ、同志・アレクサンドラ。同志・メリゾフだ。突然のことだが、許して欲しい〉
〈構いません。ロシア帝国が倒れるとか。本当ですか?〉
 間違いないとメリゾフは告げる。彼はロシアンティーではなく、コーヒーを飲んでいた。
〈ソビエト連邦という共和国が立ち上がるのではないか、とみなで話をしている。我々が目指した理想の国だ。同志・イヴァンから聞いているかい?〉
〈なにをです?〉
〈ラングストン教授の白痴教育について、同志・イヴァンは情報提供を約束してくれた。君がその情報をもっていると聞いているのだが〉
 呼吸が一瞬、乱れた。
〈それは……革命に必要なことなのでしょうか〉
〈ああ。帝国が終わるとなれば知的階級も国外に亡命するだろう。これからの教育は我々が行わねばならない〉
 サーシャはおらのとんでもなく大切な友達だ。
 サーシャ。なあ、サーシャ。サーシャの綴りはどう書くんだ?
 Sa,sha、ですよ。ミランダ様は、M,r,a,n,d,aです。
 口を大きく開けて笑うミランダの顔が一瞬浮かび、強く目をつむった。
〈ミランダ……〉
〈どうした?〉
〈いえ……なんでも、ありません〉
 かくしてサーシャことアレクサンドラ・モロゾフはミランダの情報、ラングストン教授とノーマが研究していることをすべて売った。すべては国の革命のためだった。ただひとつ、ミランダが悲しみを知らないことをのぞいて。
 
 

つづく

 

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