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現代ファンタジー

辞書を引いて

   

本が好きな主人公は重厚感ある辞書を拾った。

デジタルな時代にこれほど立派な辞書を捨てる者を咎めてやりたいと思ったが、妙にその辞書に惹かれていく。

持ち帰り調べてみると意外な事実が明らかとなる。

それは不思議な辞書であった。ある意味、願いをかなえてくれる辞書でもある。

主人公は歓喜に満ちた。これで願いがかなえられ幸福を手にできる。

しかし幸福もつかの間、その辞書をしっかりと管理しないと恐ろしいことが降りかかる。
 
 

かすかな願いだけのために持ち続けていた辞書が、主人公をくるしめることに──

 

 辞書を拾った。まったく迷惑な、いったいどこの誰が捨てたんだ。

 私の住むマンションのゴミ捨て場にそれはあった。

「きょうは燃えないゴミの日だ。住人か?」

 犯人を見つけてやりたいと脳裏をよぎるも、瞳はその辞書に魅了されていた。

 表紙は真っ黒でとても分厚い辞書だ。金色のシルクの糸で「辞書」と刺繍されている。どこか厳かで重厚感があり存在感を放っていた。

 捨てたい気持ちはわかる。デジタルが発展した現代で辞書なんて持ち歩くのには腕立てをして上腕と握力を鍛えなければならない。人は楽をするために頭を痛めながら細かい発想を具現化し、最小最軽量化するため労働を勤しんで近代発展を続けている。

 現代社会は都合のいい暮らしを満喫している。

 これだけ分厚い存在も、ここに記されている知識のすべてがスマートフォンという手のひらサイズのコンパクトにおさまっているのが皮肉だろう。文字だってサイズ調整ができる。

 なんでもできる。日常でこれに優るものはない。指先で画面を擦れば頁だって捲れる便利な世の中だ。

 そんな時代だというのに、いまだに私は本に愛着がある。ずっと本ばかり向き合ってきた。

 小説が好きだから辞書にも馴染みがある。こうして手に持つ厚み、重み、紙の質感、どれをとっても頭の中に言葉と意味と知識を吸収するだいじな存在だ。

 けっしてないがしろにしていいものではない。ゴミ捨て場に捨てていいはずがない。

 この辞書は私にとって、脳そのものである。

 机のまえで、あたらめて辞書の頁をぺらぺらと繰った。

 拾った辞書はとてもいい肌触りだ。表紙を掌でさすった。指紋はたしかにその感触を教えてくれる。触れるだけで文字も頭に入ってくる。

 脳内トリップを体感している。活字の海に浮遊して大海原を冒険している気分だ。とても気持ちがいい。

 前の持ち主はいったいなにを考えて捨てていったのか、やるせない気持ちになる。

 よくみると背表紙の間にぺんが挟まっていた。万年筆のようなぺんを指先でつまんだ。対となるぺんと辞書を交互に見渡す。

 まずは辞書を開いてみた。もしかしたらこれまで見たことのない辞書なのかと胸を弾ませていたが、うなずくようになんら普通の辞書だった。

 鼻から息を吐いた。適当に開いたからそう思った。ぺんを使うことなくぺらぺらと捲っていった。

 適当に捲っていると最初の頁までバタンととんだ。

「おっと、いけない──」ぞんざいにあつかうのはいけない。

 私の目に狂いはなかった。この辞書の気配、迫力、手にしたときから感じたなにかがあった。それが最初にしるされていた。

 一頁目にとまった。そこに奇妙な規約が書かれていた。

『この辞書内の文字を消すべからず。消すとあなたも消えるかもしれない。取り扱いには重々慎重にすること。だが、付属のぺんは“削除ぺん”なるものです。これで文字を消すと現実になる──』

 注意勧告ともいえるこの見出しはとても躊躇わせるものだ。

 消えることがなんの役にたつのか。何が起きる? 災いか、幸福か、イメージからして失うというのがマイナスな印象だろう。

「そんなことをしていいのか」

 試したくなるのが人間が持つ好奇心という無邪気で危険を省みない感情だ。

「試しに、だ」

 試しに消してみる。これまで私は感情の中できらいな感情がある。

 それが、涙だ。

 泣くことは惨めだと思っていた。悲しいことばかりではなく、うれしいときもだ。わずらわしい神経だ。

 涙を流すのがみっともない。それが私の素直な気持ちだ。

「消そう…」

 

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