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歴史ファンタジー

東京探偵小町 第十二話「あそび歌」 <1>

   

「…………君の話は、尾崎先生から聞いている」
 ふいに話しかけられたせいだろう、川添が緊張に身を震わせる。解剖学の若き権威であるだけでなく、逸見は彼に目を掛けていた上官たちの計らいにより、シベリアでの負傷を機に予備役となってからも三等軍医正の特権と礼遇を保持していた。それを笠に着ることなど一度もなかったが、軍ならではのいかめしい肩書きのせいか、学内での逸見は、慕われるというよりは畏敬される存在だった。
 無論、親しい同僚や研究室を訪ねる学生がないわけではなかったが、逸見が「九死に一生を得たこの身を少しでも役立てたい」と、激務を押して裁判医を引き受けたことは学内の誰もが承知している。よって、学生ばかりでなく同僚たちも、逸見の手をなるべく煩わせないようにと気を遣っているのだった。
「あの……僕の話というのは」
「弟妹を失うのは、親を失うより辛い。わずかな歳の差とは言え、自分より幼い者に先立たれるのはやりきれんだろう」
「逸見教授…………」
「わたしも弟を熱病で亡くしたからな」
「そう、だったんですか」
 初めて聞く話なのだろう、それまで亡羊としていた川添の瞳に、ようやく光らしきものが宿った。
「疾病は専門外だったとは言え、長らく医学を奉じておきながら、わたしはたった一人の弟さえも救ってやれなかった。あのときほど、自分の無力さを呪ったことはない」
 黒縁眼鏡の一山に指先を当て、逸見が過日の無念さを噛みしめるように言う。それが呼び水となり、川添がぽつりとつぶやくように言った。
「僕は、妹を」
「幾つで亡くなられた」
「十六……じきに十七でした」
「あたら花の盛りを。惜しいことをした」
「はい」
 逸見の「弟妹を失うのは辛い」という言葉に、強く心を動かされたのだろう。普段からあまり顔色の良くない、どこかおどおどした雰囲気を漂わせている川添は、妹が湯治場での地滑りに巻き込まれて左腕の機能を失い、将来を悲観してみずから命を絶ったことを告げた。
「妹は生まれつき足が弱く、年に数度、湯治に行っておりました。それが、今度は手まで……それを思うと、あまりに不憫で」
「そうか」
 明日からの実習に使う篤志献体を前にしたとき、この内向的な医学生が献体の左腕ばかりを注視していたのはそのせいだったかと、逸見はひとり、うなずいた。
 一方の川添は、妹の深い嘆きを思い出し、表情を暗くしていた。それを見た逸見は、眼鏡を外し、改めて川添に向き直った。
「妹君の悲嘆は、想像に難くない。だが」
 顔を上げた川添の視線が、逸見のそれと重なる。
 途端に、逸見の声が脳裏に直接響きはじめたような気がして、川添は大きく目を見開いた。
「うら若き乙女が、度重なる不幸で手足をもがれたも同然となり、嘆きのあまりにみずからの命を絶ったのだ。死人の腕など、墓前に捧げる意味すらない。義手にも劣る」
「…………逸見、教授」
「わたしには郷里に四人の妹がいる。もし、わたしの末の妹が君の妹君と同じような憂き目に遭って、この世をはかなんだとしたら」
 川添は、片手で顔を覆った。
 そうすることによって、逸見の言葉をなんとか遮りたいと思ったのかもしれなかった。
「わたしも君と同じようなことを考えたかもしれない。弟を救ってやれなかったわたしだ、せめて妹には完全な姿を……それこそが何よりの供養になると思ってしまっただろうな」
 胸の内を見透かされたのが恐ろしいのか、川添の体がかすかに震え出す。その姿に愉悦の笑みを浮かべると、逸見は川添の頭を軽くなでた。
『おまえの妹に新しい手足を与え、完全な姿にしてやるがいい』

 

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東京探偵小町 第十二話「あそび歌」<全4話> 第1話第2話第3話第4話

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