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現代ファンタジー

キッズ・レンタル1(全4話)

   

 三十八歳のいまとなっては大学のころの恋愛はただ恋人だから一緒にいる。交際しているから一緒にいた。開拓途中の恋心というのはなかなかカスタマイズできないものだ。

「おれは彼女のことを本気で好きではなかったのかもしれない。おれはただ、だれかに自分の音楽を褒めて欲しかった。それだけだ」

 当時のことを思い返すとあきらかに恋愛も未熟で、別れ方も笑顔で、ごめん、別れよ、じゃね、と淡白なものだった。

 改だけではなく彼女も涙も悲しみすらも、感情の憤りのようなつぶてを吐き捨てるようなことはなかった。互いに大学のときの恋愛に後腐れはなかった。

 改は正直あの頃のことを鮮明に思い出すことはない。幻想の中で夢うつつとした靄が覆う視野で見るくらいだ。

「彼女は、どうしたっけ…」

 改はそうつぶやいて目蓋をとじた。

 むかしのアルバムをどこにしまったのかわからなくなり、いつのまにか探すのがめんどうになってわすれてしまった。

 彼女の名前すら思い出せない。四年近くも交際していたのに彼女のすべてを知っている。記憶の断片ではちらちらと覗く彼女の姿。

 本棚にしまわれている書籍のように彼女のステータスはしるされている。しかし顔と名前がぼんやりで符合しなかった。どこか淡い幻影となって全容が消えかけている。

「再会したら思い出すだろうか」

 他人にたいする興味、記憶、感情には自信はない。人の記憶の底を振るわせるきっかけのようなものがあれば彼女の情報と思い出のアルバムを沈殿した泥の中から浮かび上がらせてくるかもしれない。だが、改の視界には未来を映していた。

 個人が生きれる環境、舞台、喝采を待望している。

 どうやら改の時間よりも世界は早く回っている。どうにも追いつけそうにない。そのせいで出遅れてしまい、舞台に上がると自分の出番は終わっている。それが改の結論だった。

 大学卒業後、音楽出版社に就職した。新社会人として胸踊った。彼女との別れに涙することもなく落ち込んでいる暇もないまま気持ちは新生活に向いていた。まるで第二シーズンの幕開けのように。

 結果からいえば三年という中途半端な期間で退職することになった。仕事はすぐに慣れ、それなりに社会人としての立場やルールやマナーなどを学習し吸収できた。その“実感”のようなものが曲者だった。

 改はもうこんなんだったら社会人なんてつまんないな。どんな仕事もできるようになり上司からも与えられた仕事、任された仕事を瞬時に手引きもないが自作のマニュアルを白紙に書きなぐりし、作業の効率化へとつなげた。

 他者との差をひらく大きな要因となった。そういう意味では機転と発想の柔軟さが好評でみるみるうちに業績や個人の成績をあげていた。

 改は仕事ができる側の人間だった。

 作曲家の夢をあきらめたが別のかたちの夢を選択する発想力が浮かんでいた。

 三年目に退職した。後先なにも考えずに行き当たりばったりの人生に賭けた。でも、良い時期でもあった。会社の経営が傾き買収され他社との合併を余儀なくされてしまった。

 希望退職者を募り小さな紙切れがまわってきた。そこにはアンケートと称した退職するかの可・否が印字されている。迷わず改は退職の可に丸をして提出した。

 あと二ヶ月で退職できる。退職金もかなり入るときいていた。それを元手に、この一年間仕事との両立で目指してきたものに投資しようと決断した。

“俺の彼女も賛同してくれた”。

 音楽出版社でひとつ年下の後輩と交際していた。しかし名響のことではない。たしか名前は──

 またしても何かを思い出そうとすると過去の出来事に興味がない改の思考回路は時間と比例しながら進行しわすれてしまう。

 未来を生きることしか考えていない者は過去の出来事が必要かどうかでいまだに即ゴミ箱へと投げ捨ててしまう。

 音楽出版社で出会った彼女との交際には戸惑った。改はプライベートのことを知っている相手が会社内にいると思うと、どうも肩身が狭く感じた。いろんなところで彼女の口からあれこれと日常や癖やプライバシーが漏洩されていることへの不安を抱かずにはいられなかった。

 毎年恒例の夏のイベントのあとで打ち上げのときにアルコールがはいった勢いとはいえ、そのままむかえた朝陽が二人を呼び覚ます。

 もっともそういう考えをもっていることが交際二年目の彼女のことを信頼できていないということにもなる。性格は明るいが口が軽い。仕事熱心だが、一癖ある人である。

 女をひけらかし胸の谷間を強調させていた。腕を絡めるようにして寄り添って歩く。改は無関心な男ではあったがさすがに心を揺さぶられた。

 そういう仕草をするなと言ったこともあった。だが彼女は射止めたい異性に自分のフェロモンを嗅ぐわす傾向があるようだ。

 いつのまにか彼女のその匂いが改の体臭と混じり合い、溶け込んで引き合うようになっていた。見えない赤い糸を無理やり彼女は改の小指に結びつけたようなものだ。

 困惑をみせずにはいられなかった。周囲からもお似合いのカップルだよ、とか言われるたびにしかたなく二年目にはいったわけだ。

 もしかしたらどこかしろ彼女の強引なまでの束縛という恋愛感から逃れたくて希望退職に応じたのかもしれない。

 秘密にしていることがある。彼女がしらないこと。それがこの一年築いていた夢だ。いくら彼女でも軽薄なタイプには教えられない。やっぱりこの彼女には信頼を寄せられないと本音では思っていた。

 有言実行あるのみ。そして改は希望退職に応じた。

 

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