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歴史 / 時代

刀行く道2

   

雫は思う。盛岡に向かうも、歩みを止めるも、何か他にもっと理由があるような気がした。

 

 寝よう、寝よう、と這うようにして部屋へ戻る男の姿に、雫ははっとした。
「貴方の名前、まだ聞いていませんでした」
「雅巳。神代こうじろ雅巳まさみ
 雅巳は、再び妙な歌を口ずさみながら布団の中に戻っていった。

 勇み足の中でも、突如強い風が吹き抜けた時、人は思わず歩みを止める事がある。立ち止まった時、一体何を思うのだろうか。

 翌朝、雫が目覚めると外から雅巳と凜の声がした。慌てて障子を開けると、寝間着姿の凜と雅巳が廊下で何かを言い争っているようだった。
「何事です?」
 雫は二人に問うた。
「おお。雫さん。昨晩は良く眠れましたか? なあに、心配する事はない」
 またしても、雅巳は飄々と答えた。
「雫様! この方には、早々に帰って貰いましょう。耶蘇は、御免です」
 凜が、悲鳴を上げた。
「わしは、耶蘇ではない」
「いいえ! その身なり、持ち物。耶蘇以外に有り得ません!」
 雅巳は自分の姿を見直し、しょんぼりと呟いた。
「只の西洋かぶれだというに」
 話に置いてきぼりの雫が、我慢を切らした。
「凜! いい加減になさい。雅巳さん、貴方は一体何者なのです?」
 珍しく怒声に近い声を張り上げた雫に、凜は泣きそうな表情でその場にへたり込んだ。それを見た雅巳もその場に座り、軽く咳払いをした。
「わしは、只の浪士じゃ。盛岡(今の岩手)に向かう途中、あまりに空腹での。行き倒れた所を、雫さんに助けられた。とまあ、こんなところじゃ」
「この辺りは奇病続きで、藩からも見放されてしまいましたから。旅のお方には、さぞ厳しかったでしょうに」
「ああ、ある物と言えば少々古くなった供えの饅頭くらいじゃった」
 笑いながら楽しそうに話す雅巳に、雫は昨晩同様唖然とした。
「食べたのですか?」
 頷く雅巳に、雫は呆れ果てた。
「あの日は、酷い腹痛に薬草を探そうと努力しておった」
「うつけ者だ」
 嫌味を込めて、呟く凜。
「凜と言ったな。そうは言うが、人は飢えると見境がなくなるものだ。それは、今度でよくわかった」
 凜は何も言わず、ただ雅巳に軽蔑の視線を送り続けていた。
「雅巳さん。それで、凜と何を言い争っていたのですか?」
 雫だけは、冷静だった。それは、女医としての道を真面目一筋に歩んできた気性がそうさせたのかも知れない。
「言い争っていたなんて、とんでもない。わしは、一宿一飯の恩義として、家の手伝いでも、と」
「そんな元気があるなら、出てってくださいってお願いしたんです!」
 再び、凜と雅巳の言い争いが始まる。始まる前に、雫が入った。
「凜は少し黙って。雅巳さんは、盛岡に急がなくてもよいのですか?」
「弘前(ここ)まで来たら、急ぐ必要もない。何より本当に酷い腹痛だったから、二、三日で構わん。もう少しだけ、置いてつかあさい。何でもするから」
 雫は、少しばかり困って見せた。
「面白いお侍さんですね。私は、これでも医者です。無理に出てけとは言えませんよ」
 雫は思った。この雅巳と言う男、よく見れば侍と称するには優男過ぎる、と。盛岡に向かうも、歩みを止めるも、何か他にもっと理由があるような気がした。勿論、危険も考えた。だが、眉を八の字にしてまで懇願されては……医者として、突き放す事が出来なかったのだ。
「雫様は人が良すぎます」
 自分でも、解っていると言いたかった。
 家事を手伝うと張り切る雅巳を雫は彼の寝ていた部屋に押し込め、自らの部屋に戻って身支度を済ませた。凜が朝餉の準備を終えた頃には、雅巳も中途半端だった身支度を整え居間に現れた。
「雫さん、かたじけない。綺麗になっとる」
「洗濯したのは、凜ですよ」
「おお。よう働く娘だ。良い嫁になれる」
 凜は赤い頬を更に染めながらも、つんとした顔で雅巳の前にお膳を置いた。
「肌着は、有りませんでしたか?」
 彼が診療所に運ばれてきた時に着ていた、見慣れないひらひらした肌着を着用していなかった事に雫は気付いた。

 

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