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歴史 / 時代

刀行く道3

   

奇病患者の集落に、雫は往診に出かけたというが。

 

 幼児の後ろを歩いてきた雫が、雅巳に掌に乗せた小さな貝を見せた。それだけで食べられる程の量では無かったが、その小さな手で一生懸命捕ったんであろう。まだ濡れた砂が付いていた。
「奇病じゃなくて良かったわ。雅巳さん、お茶でもどうですか?」
「ああ」
「凜。一息つきましょう。三人分お願いね」
 凜の甲高い声が廊下に響いた。
 少量の漬け物を乗せた小皿と、お茶の入った湯呑みが凜によって配られた。
「このお漬け物、おたき婆がくださったの。とても美味しいから食べてみてください」
「雫様。お漬け物は、これで最後です」
「まあ残念」
 雅巳が漬け物を口に運ぶのを見届けながら、雫と凜が楽しそうに話す。確かに美味。
「酒が呑みたくなるな」
「うちには、ありません」
「そいつは、残念じゃ」
 雅巳は、茶を啜った。
「雫さんは、集落の人等の世話をしとると聞いたんじゃが、収入はどうしとるんじゃ? 貰える金も少なかろうに」
 少し心配そうに見える雅巳に、雫は笑いながら茶を啜った。
「お代は、戴いておりません。何日かに一度、隣り村の診療所に奉公に行くのです。凜もおりますから、少しは収入がないと辛いので。他に、先程の子のように、集落の方が食べる物を分けてくださいます」
「左様か」
 集落唯一の医者と言えども、決して裕福な暮らしをしている訳ではなかった。雅巳は、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「雅巳さん、気にしないでくださいね。私は医者。雅巳さんは患者」
 彼は、再び頭を掻いた。
 雅巳が行き倒れたのは、腐った饅頭の拾い喰いによる食中毒が主な原因ではあったが、他に飢えと長旅からの疲れもあった。金は少し持ってはいたが、食糧不足のため食べ物が手に入らなかったのだ。
 ようやく辿り着いた権平太の畑も、大した作物が実っていなかった。食中毒による衰弱と飢えと疲れで、彼はついに力尽きた。
 集落に住む人々は、少しの畑と漁で食を繋いでいた。漁といっても人手不足で大量に捕れはしないし、畑も潮の関係で作物の実りもいまいちである。元々は漁師村である。だが、見捨てられ食糧の確保に難しくなった為に、苦し紛れに人々は畑にも手を出さざるを得なかった。殆どは、陸を離れる事が出来ない老人か女、子供が畑仕事に精を出している。
「この辺りは、飢饉でもあったんかの? 弘前に着いてから、食糧が手に入らんようになった」
「随分と昔の話ですけどね。今は、マシになったと思います。奇病もその頃から流行り出して。けど、それ以前にこの集落は藩からも見放されていますし、他に村も少ないですから」
「雫さんの奉公先は、ここからどのくらい先なんじゃ?」
「ここから半刻程歩いた先です」
「離れとるのう」
「ええ、ですがその村も裕福ではありませんよ。食べる物に関しては、もしかしたら藩から見放されたこの集落の方が贅沢かもしれません」
 雅巳は、再び漬け物を口に含んだ。塩味がよく効いている。
「雅巳さんは、何処から来たのですか?」
 雅巳は、少し考えた顔をした。
「長崎から、逃げてきたんだわ!」
 凜が声を上げた。
「じゃから、耶蘇ではない」
「では、長崎には行った事がないんですか?」
「否。あるよ」
「へえ! かすていら、しょくらあとも食べた事があるんですか?」
「まあ」
「へえ! へえ! どんな、味なんですか?」
「甘いな」
「甘いって、お饅頭より」
「そうじゃの。黄色くて甘い」
 好奇心旺盛な凜は、身を乗り出しすぎて、雅巳の前に手を付いていた。その姿を、はしたないと雫が叱った。だが、また直ぐに少女は四つん這いの体勢に戻るのだった。
「そうじゃな。凜には、ビードロがいいかもしれん」
「ビードロ?」
「葱坊主のような格好をしとるが、世にも綺麗な葱坊主でな。吹くと、ぽっぺん、ぽっぺんと鳴りよる。他には、綺麗な着物……ドレスと言うのだが、ドレスを着た異人がいっぱいおるぞ。ドレスは、雫さんが似合いそうだ」
 黙って聞いていた雫が、驚いて目を開いた。
「ドレス、ですか?」
「そうじゃ。わしの肌着も肌着ではなく、ブラウスという異人の着物じゃ」
「ねえ! あたしは? あたしにも、似合うかな?」
「そうじゃな。凜には、難儀じゃの。あれは、乳がこうボンと大きくないと……」
 言いかけた雅巳の顔に、凜は平手打ちを入れると、泣きながら部屋を出ていった。
「雅巳さん!」
 咎めるように、雫が名を上げた。雅巳は、赤くなった頬を押さえながら弁解を口にした。
「つい、本音が」
 雫は呆れた顔で湯呑みと小皿を片付け始めた。
「雅巳さんは、部屋で謹慎しててください」
「はい」
 

 

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