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歴史 / 時代

刀行く道5

   

 ――お前は、いつだって『友』だ。其れ以下でも其れ以上でもない。

 

「雅巳さん」
 声を掛けられ、はっとした。
「なんじゃ、凜か」
「なんじゃとは、なんですか」
 凜の頬が、ぷうっと膨れた。
「ぼんやりしてるから、心配してあげたのに」
 雅巳が手の甲を向けて、凜をあしらう様にひらひら振った。
「子には解らんよ。仕事せい。良い嫁になれんぞ」
 凜は、もう! と叫ぶと、どんどん足を鳴らして立ち去った。雫の、はしたないと注意する声がそれと重なった。

 この時代の蘭方医学とは、果たしてどのようなものであったのだろうか。
 西川如見が先駆者とし、徳川吉宗が技術導入の為、阿蘭陀からの書籍輸入を解禁したのが始まりであった。
 紅毛流医学とも呼ばれ、主に長崎出島から阿蘭陀医師を通じて伝えられた医学である。
 当時主流であった漢方医学と比較し、外科的治療に関しては蘭方医学の方が優れているとされていた。
 江戸時代後期、急速に広がりを見せた蘭方医学であるが、その思想的影響が幕藩体制に対する悪影与えると、徐々に取り締まりが行われていった。
 文政四年から天保十年にかけて、出版取締令、蘭書翻訳流布が禁止されたが、弘化二年に蘭書出版は天文方(天体、歴、研究機関)の掌握となった。
 嘉永二年に入り、漢方医と蘭方医の対立が深刻化。幕府医師の蘭方医学使用禁止、蘭書輸入に関しては長崎奉行の許可制とされた。
 幕府医師の蘭方医学の兼用が認められたのは、開國後の安政五年になってからの事である。安政五ヶ國条約にしたがって外國貿易が本格化し、洋書の輸入が長崎以外で行われるようになり、取り締まりは全く効果をなさなくなった。
 嘉永から幕末期にかけ、蘭学は多岐に渡って発展。蘭学塾として芝蘭堂、適塾、鳴滝塾が設立され、多くの蘭方医を輩出していった。
 

 

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